
それまでオールナイトニッポンや高原兄時代のヤングパラダイスのコーナーでレギュラー出演していたとはいえ、この時点ではほとんど無名の存在。
そんな三宅が東京の夜のラジオ界を席巻した。
三宅の魅力はなんといっても小劇団の舞台俳優ならではの演技力。
リスナーからヤクザと遭遇した恐ろしくもユーモラスな体験を紹介する「恐怖のヤッちゃん」では、ヤッちゃんことヤクザの声を三宅が恐ろしくもコミカルに演じる。同じく金持ちボンボンのむかつく振る舞い体験を紹介する「おぼっちゃま」では、ホントにむかつくクソガキを演じラジオの前でいつもワクワクして聴いたものだ。
ほかにもオカマになりきっての恋愛相談や言語学者に扮してさまざまななぞなぞを演じるコーナーなど、企画自体は目新しくなくても各コーナーごとに演じる三宅のキャラクターが映え、多くの人気コーナーが誕生。
そして長年文化放送に奪われていた聴取率NO.1の座を奪い取ったのだ。
三宅が番組を始めた1984年はひょうきん族全盛期時代。漫才ブームで一般に浸透した関西弁がテレビ、ラジオに蔓延していた頃である。
ビートたけしがあるテレビ番組で「漫才ブームはツービートvs関西芸人になってしまった。テレビもラジオも関西弁ばかりで、絶対関東の人間として負けたくなかった」と語ったことがある。
たけしがオールナイトニッポンを始めたのは1981年。木曜深夜のたけしのラジオは聴取率が高く、金曜朝には中高生男子の多くがたけしの口調を真似するという伝説もあったほど。関西弁が溢れかえる中、たけしの江戸っ子トークはそれらに負けることなくリスナーのハートを射止めた。
そして三宅裕司もシャキシャキの江戸っ子トークで、中高生のラジオスターとなった。ビートたけしで江戸弁を聴きなれた中高生にとって、大学の落研出身で歯切れのよい江戸っ子口調はツボにはまったのかもしれない。
ちなみにビートたけしがオールナイトを始めたのは33歳の時。三宅も33になる年にヤングパラダイスをスタートしたのはただの偶然だろうか?
ヤングパラダイスで一躍スターになった三宅は、その後テレビでも多くの番組に出演。1990年春よりテレビの深夜生放送を担当することになり、約7年続いたヤングパラダイスは終焉を迎えた。
しかしヤンパラ終了後も三宅はニッポン放送で番組を持ち続け、今もなお日曜の朝に元気な声を聴かせてくれているのは、イチラジオファンとしては嬉しい。
(written by みぞてたかし)
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たけしがオールナイトニッポンを始めたのは1981年。木曜深夜のたけしのラジオは聴取率が高く、金曜朝には中高生男子の多くがたけしの口調を真似するという伝説もあったほど。関西弁が溢れかえる中、たけしの江戸っ子トークはそれらに負けることなくリスナーのハートを射止めた。
そして三宅裕司もシャキシャキの江戸っ子トークで、中高生のラジオスターとなった。ビートたけしで江戸弁を聴きなれた中高生にとって、大学の落研出身で歯切れのよい江戸っ子口調はツボにはまったのかもしれない。
ちなみにビートたけしがオールナイトを始めたのは33歳の時。三宅も33になる年にヤングパラダイスをスタートしたのはただの偶然だろうか?
ヤングパラダイスで一躍スターになった三宅は、その後テレビでも多くの番組に出演。1990年春よりテレビの深夜生放送を担当することになり、約7年続いたヤングパラダイスは終焉を迎えた。
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