深夜ラジオの第一次ブームは1960年代後半から70年代にかけてといわれる。
1967年にニッポン放送の「オールナイトニッポン」とTBSの「パックインミュージック」が、そして1969年には文化放送で「セイヤング」がスタート。名物アナウンサーやタレント、ミュージシャンなど超有名人やテレビには出ない大物から誰だかわからない無名人まで毎日多種多彩なDJたちが深夜のマイクの前で各々の世界を作り出した。
しかし70年代後半に入りテレビの威力が増すほどに深夜ラジオの元気は衰え、「セイヤング」は1981年、そして「パックインミュージック」は1982年に幕を閉じ、今でも続いているのは「オールナイトニッポン」のみとなってしまった。ところが・・・ベルト番組(月〜金曜)としての「セイヤング」は1981年に終了しているが、その後13年間も「セイヤング」名義の番組が文化放送ではオンエアされていた!
1967年にニッポン放送の「オールナイトニッポン」とTBSの「パックインミュージック」が、そして1969年には文化放送で「セイヤング」がスタート。名物アナウンサーやタレント、ミュージシャンなど超有名人やテレビには出ない大物から誰だかわからない無名人まで毎日多種多彩なDJたちが深夜のマイクの前で各々の世界を作り出した。
しかし70年代後半に入りテレビの威力が増すほどに深夜ラジオの元気は衰え、「セイヤング」は1981年、そして「パックインミュージック」は1982年に幕を閉じ、今でも続いているのは「オールナイトニッポン」のみとなってしまった。ところが・・・ベルト番組(月〜金曜)としての「セイヤング」は1981年に終了しているが、その後13年間も「セイヤング」名義の番組が文化放送ではオンエアされていた!
パーソナリティは、さだまさし。
番組がスタートしたきっかけは、グレープ(さだのデビュー当時のユニット)時代に同番組を担当していたさだが、文化放送から若者向けの深夜放送が無くなることを嘆き「俺が深夜放送を守る」と土曜の23時にスタートさせたのだ。
生放送の番組には毎週多くのリスナーが集まり、さだの喋りやギャグハガキに笑い拍手や歓声などもマイク越しに聞こえていた・・・が、この番組、実は公開放送ではなかった。
理由は23時スタートで放送終了後終電がなくなる時間であることや文化放送が住宅街にあったことから、若者がたむろすることがクレームに繋がる可能性もあるため。じゃあ、あのラジオから聴こえてくる笑い声は幻?そんなことはない。
番組でさだは、彼らリスナーのことを「通りがかりの人々」と紹介する。たまたま文化放送のある新宿を歩いていたら何やら楽しそうな声が聴こえた。見るとさだまさしが喋っている。ちょっと見ていこうかなと。
そしてすごいのが12年間生放送されて住人とのトラブルなどがほとんどなく、「通りがかりの人々」もマナーがよく局とリスナーとの絶大な信頼関係がこの番組を支えていたといってもよいだろう。
番組は「深夜の区会」や「お茶のみ話笑科大学」といったギャグコーナーで展開。さだのスタッフなども番組に出演し、リスナーしか知らないスターも生まれるのも深夜放送ならではだった。
結局番組が12年続いた後、文化放送は若者向け深夜放送「Come on FUNKY Lips!」を1994年にスタート。深夜放送の灯りを守り続けたさだは、その目的を果たし1994年4月2日。深夜放送の世界を去った。
ちなみにこの番組のスタイルはその後も昼放送などで継承され、今ではNHKの正月深夜番組新春いきなり生放送!!「年の初めはさだまさし」で新年早々見ることができる。
民放のラジオ番組をNHKの新春番組で見れるというのも不思議な感じであるが、当時の深夜ラジオファンはもちろん、そうじゃない人も是非見て欲しい。
1980年代の匂いがする、優しい番組です。
(written byみぞてたかし)
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番組がスタートしたきっかけは、グレープ(さだのデビュー当時のユニット)時代に同番組を担当していたさだが、文化放送から若者向けの深夜放送が無くなることを嘆き「俺が深夜放送を守る」と土曜の23時にスタートさせたのだ。
生放送の番組には毎週多くのリスナーが集まり、さだの喋りやギャグハガキに笑い拍手や歓声などもマイク越しに聞こえていた・・・が、この番組、実は公開放送ではなかった。
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番組でさだは、彼らリスナーのことを「通りがかりの人々」と紹介する。たまたま文化放送のある新宿を歩いていたら何やら楽しそうな声が聴こえた。見るとさだまさしが喋っている。ちょっと見ていこうかなと。
そしてすごいのが12年間生放送されて住人とのトラブルなどがほとんどなく、「通りがかりの人々」もマナーがよく局とリスナーとの絶大な信頼関係がこの番組を支えていたといってもよいだろう。
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