20091110_01今でこそダンディなイメージが浸透しているタレントの大竹まことであるが、1980年代にシティボーイズからソロの活動が増えたころは、危険な香りのする芸人としてブラウン管の中を暴れまわっていた。

有名なところだと、夕やけニャンニャン。
おニャン子クラブを中心とした和気藹々のバラエティ番組において、常滑川まこと名義で出演。セットは壊すわ、おニャン子に自分の裸体を見せるわのやりたい放題。
彼が出演する番組は抗議が絶えず、レギュラーになった番組は短命で終わる。
中には何十年も続いた長寿番組でさえ終了するなど「潰し屋」の名で呼ばれることもあったほど。しかし今の大竹を見ればわかるように、あくまでも暴走はキャラクターとしての演技。
ある時など普通に出演以来のあった生放送の番組欄に「大竹乱闘」と書かれ、どうしていいか困ってしまったと後日語っている。

そんな良くも悪くも暴走キャラで知名度が上昇中だった1986年。
ニッポン放送のナイターオフ枠で「大竹まことの金曜日のたまごたち」という、自身にとって初のラジオ番組を持つことになった。
ラジオではセットを壊すこともパンツを下ろすこともできない。ワンマンでの放送なので、テレビと違い誰からも突っ込まれなければフォローもされない。
番組では「私は○○という番組を終わらせた男ですよ」や「○○のことは嫌いです」などとテレビ同様の毒舌キャラクターを演じようとする動きもあったが、いずれも台本があると思える予定調和。
逆にリスナーからのハガキに対する受け答えや時々話すまじめな話に大竹の本質的な人のよさが見え隠れして、当時の暴走キャラ大竹としてはイメージダウンだっただろうが、20年以上経った今もテレビやラジオでレギュラーを持っている現状を考えると、この番組がそのステップにも繋がったのでは?と勝手に解釈している。

ナイターオフ限定だった同番組の終了まであと一ヶ月と迫った1987年3月、ニッポン放送で新たなる大竹のレギュラー番組が始まった。
タイトルは「ピンチヒッター大竹まことのオールナイトニッポン」。
その前年12月に「フライデー事件」を起こしタレント活動を自粛中のたけしに代わるピンチヒッターとして、当然ながらたけしが復活するまでの暫定パーソナリティとして起用された。
スポンサーコーナーもあり、枠に縛られがちだった「金曜日の〜」よりも、「オールナイト〜」の方が大竹の持ち味が発揮され、深夜の2時間を自由自在に操る大竹ワールドに確実にリスナーも増えてきた。
ある放送で大竹は
「番組のノベルティを俺が作る」
と宣言した。
局が作るありきたりのものでなく、自分の納得するものを作りたいと自腹でノベルティグッズを作ったのだ。
「グッズが完成したので、来週の放送から、ハガキを読まれた人にプレゼントします」
そう番組で宣言し、1987年6月18日の放送は終わった。
そしてその翌週・・・なぜか予告なしに「たけし軍団のオールナイトニッポン」がオンエア。
番組にはたけしも乱入し、これが謹慎後初のメディア復帰となる。
7月2日「ビートたけしのオールナイトニッポン」が復活。
大竹はサヨナラも言わず(言えず)ニッポン放送から去ることになった。
その翌週。あれだけ苦情の嵐を受けながらレギュラーとして居続けた「夕やけニャンニャン」の自身のコーナーで、幻となったオールナイトニッポンのノベルティグッズをアシスタントの渡辺満里奈に見せる。
「これ作ったんだけど、番組終わっちゃいました」。
さりげない言葉だけでレギュラーのコーナーに戻ったので、ラジオを聴いていなかった人にとっては何のことかわからなかったかもしれないが、リスナーとしては聞きそびれたサヨナラを聞くことができたようで、ちょっと得した気分だった。

(Written byみぞてたかし)

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