20091201_011980年代前半を代表的する、テレビバラエティタレントといえば萩本欽一であろう。
「欽ドン!良い子悪い子普通の子」、「欽ちゃんのどこまでやるの!?」、そして「欽ちゃんの週刊欽曜日」と3本のゴールデンタイムの番組はいずれも視聴率30%超えで、「100%男」と呼ばれる大人気ぶりだった。
欽ちゃんの番組には、売れっ子芸人はほとんど出演せず、無名タレントやお笑いとかけ離れたミュージシャンや俳優、そして素人などが出演。その意外性が受けて彼らは「欽ちゃんファミリー」と呼ばれ人気者となった。

その中の一人、山口良一は「欽ドン」の「欽ちゃんファミリー」デビュー。「良い子悪い子普通の子」の『良い子』の『ヨシオくん』として大人気。3人でイモ欽トリオというグループも結成し、デビュー曲「ハイスクールララバイ」はレコード売り上げ100万枚を超えるミリオンセラーとなった。
素人っぽい天然ボケのタレントたちが受ける欽ちゃんファミリーの中で、小劇場出身の山口はその持ち前の演技力と話術で、彼らとは違った評価を受ける。

番組スタートから1年経った1982年、ニッポン放送の「オールナイトニッポン?部」のパーソナリティに抜擢。その半年後には?部に昇格された。
タレントの深夜放送というと、ここだけの裏話(悪口)や下ネタ、それに生のラジオらしいゲリラ的な放送に人気が集まり、リスナーもそういった放送を求めるケースが多いが山口良一のラジオは、あくまでも欽ちゃんの笑いを継承したような、わかりやすく、そしてシンプルな作り。リスナーが電話で参加するクイズ「電話で遊ぼう ピッポッパッ」や欽ドンのようなハガキのコーナーが中心だった。
はじめは欽ドンの良男くんだからと聞いていたリスナーも、山口良一の魅力に惹かれていった。

番組内でもっとも盛り上がったコーナーは、「人気投票」。最初は「山口と構成作家の中で誰が一番好き?」という安易なコーナーであったが(当然1回目は山口が1位)、作家同士のリスナーへの投票呼びかけなどが盛り上がり、作家がマイナス票が多く番組を追放されたり、山口の態度が気に入らないとリスナーからのマイナス票が増えてメインパーソナリティが降板の危機になったり……。しまいにゃ「うる星やつらのラムちゃん」など番組と全然関係のないキャラが1位になったりと、番組を聴いていない人にはわけがわからないだろうが、「欽ちゃんファミリー」ではない「グッチワールド」(番組で山口はグッチと呼ばれていた)の面白さが人気投票にはあった。

番組は?部時代を含めるとちょうど3年。オールナイトの担当期間としては平均的な数字なのではないだろうか?聴取率週間では、通常の放送ではなく上映中の映画の特集に差し替えられたり、別なアーティストの特別放送の時もあり、特別人気が高かったわけではないが、それなりに支持された無難な番組だったのでは?と勝手に推測している。

あれから20数年。
「欽ちゃんファミリー」と呼ばれたタレントたちのほとんどが「あの人は今」状態の中、小堺一機、関根勤、風見しんご、そして山口良一は今でもブラウン管でその姿を見ることができる。言い方は悪いが、大人気にならなくても消えることのない、無難なポジションを30年近く守り続けている。これは芸能界では一番すごいことなんじゃないかなぁとか、勝手に思っている。
そして今の姿からは想像できない、ラジオ時代のあの雄叫び。
「電話で遊ぼう。ピッポッパッ。絶好調〜」
また聴きたいな……。

(written by みぞてたかし)

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