
1976年に東海ラジオでスタートした「ナゴヤフォークタウン」。番組のタイトルからわかるように、フォークソング中心の音楽プログラムになると予想されたこの番組だが、そのスタンスを取っていたのは最初の数回のみ。気づいたらトーク中心のプログラムになり、そして約20年間も続く名古屋のお化け番組となったのだ。
パーソナリティは兵藤ゆきと東海ラジオのアナウンサー(当時)天野良春。「浴びせ倒しの街頭アナウンサー天野良春と、小股すくいの兵藤ゆきです」で始まる番組は、音楽とリスナーからのお葉書紹介というシンプルな構成。当時はまだ名古屋のローカルタレントだった兵藤ゆきの出世作となった番組である。
兵藤ゆきのニックネームは「ゆき姐」。名古屋のラジオ番組を中心に活躍後、東京にも進出。「笑っていいとも」や「天才たけしの元気が出るテレビ」で一躍全国区の人気者になる。
ゆき姐のラジオといえば「悩み相談」。恋愛や進学、家族など今を生きる不学生にとってもっとも深い悩みをゆき姐にぶつける。どんな暗い内容でもディープな悩みでも、ゆき姐のさばさばとした喋りがそれを調和する。
基本的には
好きな人いる→頑張って告白しよう
学校辞めたい→もう少し考えてみよう
親と進路について喧嘩した→もう一度親と話し合おう
という風に、相談したうえで画期的な回答が出るわけではなく、むしろ模範解答のようなものが多かった。しかしリスナーはゆき姐に頼り、ゆき姐もその期待にこたえるため一生懸命話す。
「ダウンタウンのごっつええ感じ」内のコントで名古屋名物として「悩みの相談、兵藤ゆき」と数えられたこともあるように、兵藤ゆきは名古屋の悩める若者の頼れる姐御だった。
ちっともフォークソングの流れない東海ラジオの名物番組「ナゴヤフォークタウン」は、1976年より20年間放送。1996年10月9日で999回の放送をもって終了。1回目の放送のときの中学生が30代になっていたわけだから、親子二代でゆき姐にメッセージを送っていたリスナーもいるかもしれない。
終了から10年経った2006年6月18日。「ナゴヤフォークタウン」は、1日限りの復活番組を放送した。
放送開始から30年。この日がちょうど第1000回目の放送となった。
(written by みぞてたかし)
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