20100427_01代表曲は「わかれうた」、「悪女」、「ひとり上手」など。フォークソングシンガーの代表的存在であり、フォーク=暗いのイメージの代名詞的存在。それが中島みゆき。
1975年に歌手デビューし、1977年「わかれうた」がオリコン1位を獲得。翌年スタートしたTBSテレビの「ザ・ベストテン」にランクインしたものの「歌番組出演拒否」の意向で番組には出演せず。

曲は暗いしメディアは避ける。そんなイメージの強かった中島みゆきが、深夜ラジオのメインパーソナリティ。しかもその番組がオールナイトニッポンというのだから、驚いた人も多かったことだろう。切々と恋愛の恨みつらみを謳う中島みゆきが、どんなことをマイクの前で喋るのか?

その第一回放送。1979年4月2日。
「中島みゆきだよー」。
・・・え?これがあの「アザミ嬢のララバイ」を歌う中島みゆき?「わかれうた」を切々と熱唱する中島みゆき?パーソナリティ中島みゆきは、歌手として魅せる影の部分は一切排除され、独特のなまり口調で喋り、「ガハハ」、「ゲラゲラ」と大声で笑う。フォークシンガー中島みゆきのファンのほとんどは、その放送にまず絶句。そして歌手とは180度異なるパーソナリティ中島みゆきの世界にどっぷりとはまっていくのだ。

番組はリスナーのハガキを紹介する、シンプルな作り。自身の曲や近況を話すこともあったが、基本は歌手とは別の人といった感じで、リスナーからのハガキを読み、それに対しコメントし、また「ガハハ」と笑う。ハガキのコーナーは、基本的に下ネタはナシ。家族の面白エピソードを紹介する「家族の肖像」や、自虐的なネタの旺盛だった自身のヒット曲名をタイトルにした「ひとり上手」など。正直他ではない画期的なコーナーやものすごいレベルの高いハガキ職人がいたわけでもない。
時には笑いのないごく普通のハガキを読む時も。しかしその普通のハガキもおばさん口調のテンションで中島が喋るとそこに面白味を感じてしまうから不思議。その不思議を面白いと感じた人から順に、中島みゆきのオールナイト信者へと変わっていったのだ。
番組の最後には1枚のハガキを紹介する。「ずっと毛嫌いしていた父を、とあるエピソードで見直した話」や「一人旅に出てくじけそうな時に、土地土地の人にふれ合い助けられ、人間捨てたもんじゃないと感じた」など。この時だけは、中島のトーンがシンガーのMCのようになる。110分バカやって笑ったラジオが1枚の心温まるメッセージで締まり、月曜深夜が更けていく。
中島みゆきのオールナイトニッポンは、1979年4月から1987年3月まで8年間、ニッポン放送の月曜深夜を賑わし、次なる伝説を作るデーモン小暮にバトンを渡した。

その後中島はTOKYO FMやNHK FMなどでもレギュラー番組を担当。オールナイトも1991年と2006年に一夜限りの復活放送を行った。前回のオールナイトが2006年。W杯イヤーだったんですね。あれから4年。そろそろまた聞きたいものである。あのコール「なーかじーまみゆきのオールナイトォニッポーーーン」を。

(written by みぞてたかし)


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