20100914_011980年代のど真ん中。1985年はアイドル豊作の一年だった。

ドラマ「毎度お騒がせします」でブレイクした中山美穂、マリリンモンローを彷彿させるセクシーコスチュームで話題をさらった本田美奈子、スケバン刑事で主演を張った斉藤由貴、南野陽子、浅香唯の3人もこの年に歌手デビュー。

おニャン子クラブがデビューしたのも1985年だった。

おニャン子クラブのデビューシングル「セーラー服を脱がさないで」がリリースされた1985年7月。
VAPレコードからデビューしたのが森川美穂だった。デビュー曲は「教室」。

突然ですが退学します。二学期からはもう会えません。

この強烈な歌詞と歌唱力はインパクト大で、わずか30秒のラジオコマーシャルを聴いただけでフルコーラスが聴きたくなりCDショップまで走ったものだ。
当時は同じVAPレコードの先輩アイドル菊池桃子の妹分的な売り方で音楽番組に出演。
しかし後のインタビューで「アイドルとして売り出されるのは嫌だった」と語っているように、本人の意図と反するプロモーションだったらしい。
それでも歌詞のインパクトとルックス、歌唱力が相まって「教室」はスマッシュヒット。
アイドルとして売り出すのかと思った同年10月、東海ラジオで「森川美穂の青春放送局」という番組がスタートした。

当時のほとんどのアイドルは冠名のついたラジオ番組を担当。ファンへ向けたプロモーションの場としてラジオを有効に使っていた。
放送作家がついた台本のきっちりある番組構成で、ポエムを読んだり、進行役にアナウンサーをつけボロが出ない作りにしたり・・・とアイドルのイメージを守る番組がほとんど。

そんな中始まった森川美穂の番組は・・・「教室」のイメージを抱いて電波を合わせるとそのギャップに驚くことばかり。
リスナーのハガキに「バカヤロー」と悪態はつくは、エロトークもへっちゃらで喋るわ・・・。
まだ「アイドルはウンコをしない」的な神話が残っていた当時、アイドル顔の森川の喋りは一躍注目を浴び、名古屋ローカルの番組ながら当時のラジオ雑誌で何度も特集が組まれた。

気づいたら北は東北から南は九州まで各地でレギュラー番組を持つ人気ぶりで人気DJランキングでも上位に入っていた。

過激発言ばかりが話題になるが、番組内ではリスナーの悩み相談といった深夜ラジオのオーソドックスなコーナーもあり、森川姉御が真剣に語るトークも印象的だった。
「森川美穂の青春放送局」は5年間の放送の後、1990年に放送終了。
しかしファンからの要望が多く、1995年夏東海ラジオで再びマイクの前に立つ。

番組タイトルは「あっ!森川だ」だった。

(Written by みぞてたかし)


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