20110118_01大阪では知らない人はいない、泣く子も黙るやしきたかじん。本業はミュージシャンだがテレビタレントとして数多くのレギュラーを持ち、今も「たかじんの胸いっぱい」や「たかじんのそこまで言って委員会」といった看板番組で活躍している。


1976年に「ゆめいらんかね」で歌手デビューしたたかじんが、最初に持ったレギュラー番組はMBSラジオの「MBSヤングタウン」。
そこからほぼ途切れることなく80年代、そして90年代とたかじんの声がラジオから流れ続けた。なかでも大阪ローカルにも関わらず、全国にその噂が広まったのが1985年よりスタートした「聞けば効くほどやしきたかじん」。お昼の生ワイド番組を毎日生放送でたかじんが喋る。今思えばABCラジオもかなり危険な賭けだったのではと思うがこれが大人気。特に金曜日は円広志とコンビを組んだトークは、ギターを弾きながら歌いながら雑談するという「音局漫才」がブレイク。時にはCMを一切流さず1時間ほどノンストップトークが繰り広げられることも。
ちょうどお昼時ということもあり、大阪中のサラリーマンがたかじん&円のトークが聴きたくて金曜昼は車に乗り込みカーラジオを聴く。そんな社会現象も起こり、写真週刊誌のフライデーまでもが取材にきたほどだった。

ラジオで人気者になったたかじんをテレビがほっとくわけがなく、ほどなくテレビ出演が殺到。
その後の活躍はご存じの通りである。テレビの代表作の一つである「たかじんnoばあ〜」(1992年〜よみうりテレビ)は、BARを舞台にマスター役のやしきたかじんとバーテン役のトミーズ雅がゲストとトークを繰り広げるバラエティ。テレビなのでもちろんカメラはあるが、出演者全員お酒を飲みながらのトークはラジオに近い流れで、深夜0時台にも関わらず関西では20%を超えるお化け番組となった。
ところで先日、久しぶりに歌手・やしきたかじんのニュースが届いた。秋元康作詞、小室哲哉作曲の「その時の空」で7年ぶりの新曲をリリースしたのだ。たかじんがミュージシャンとしてヒット曲の多かった時期は、「聞けば効くほどやしきたかじん」が人気中だった1986年の「やっぱ好きやねん」やニッポン放送をキーステーションに「全国放送していた「そこまで言うか! 熱血!正義の60分」を担当していた1993年の「東京」。たかじんの歌のヒットには、いつもラジオがあった(ちょっと無理矢理かなw)。ラジオのやしきたかじんファンとしては、この機会にもう一度マイクの前でテレビとはひと味もふた味も違うたかじん節を聴かせて欲しいものだ。

(Written by みぞてたかし)


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