芸能界デビューは30歳と遅咲きながら、デビュー後まもなくその「密室芸」と呼ばれる芸がテレビで受け、漫才ブームが巻き起こりしゃべくり芸が受けていた当時、知的な雰囲気も醸し出すタモリの芸は異色な存在であった。
そんなタモリのラジオ初レギュラーは1976年のオールナイトニッポン。デビュー直後でまだ無名にもかかわらず、いきなりニッポン放送の看板番組に抜擢されたのだ。
当時のタモリは番組内でさまざまなものをバッシング。たとえば名古屋は、「田舎なのに都会人ぶる」、「エビフライがごちそう」、「すぐみゃーみゃー言う」などコキおろし、名古屋人や名古屋出身の芸能人をボロクソ扱い。名古屋人からもクレームのハガキが多数届いたが、それに輪をかけて名古屋バッシングを繰り返し名古屋以外の地域のリスナーからは喝采と爆笑の声が挙がった。
同じく「フォークソングは暗く女々しい」とさだまさしや小田和正、アリスなどもバッシング。熱狂的な女性リスナーからカミソリが送られることもあったが、それさえもギャグにしてしまうほどだった。番組ではさいたまんぞうが歌う「なぜかさいたま」を紹介。その暗いがユニークな曲が番組から話題になり、当時は自費出版(今で言うインディーズ)だったのに関わらず有線からブレーク。後に全国発売され大ヒットさせてしまった。
そんなタモリのラジオ初レギュラーは1976年のオールナイトニッポン。デビュー直後でまだ無名にもかかわらず、いきなりニッポン放送の看板番組に抜擢されたのだ。
当時のタモリは番組内でさまざまなものをバッシング。たとえば名古屋は、「田舎なのに都会人ぶる」、「エビフライがごちそう」、「すぐみゃーみゃー言う」などコキおろし、名古屋人や名古屋出身の芸能人をボロクソ扱い。名古屋人からもクレームのハガキが多数届いたが、それに輪をかけて名古屋バッシングを繰り返し名古屋以外の地域のリスナーからは喝采と爆笑の声が挙がった。
同じく「フォークソングは暗く女々しい」とさだまさしや小田和正、アリスなどもバッシング。熱狂的な女性リスナーからカミソリが送られることもあったが、それさえもギャグにしてしまうほどだった。番組ではさいたまんぞうが歌う「なぜかさいたま」を紹介。その暗いがユニークな曲が番組から話題になり、当時は自費出版(今で言うインディーズ)だったのに関わらず有線からブレーク。後に全国発売され大ヒットさせてしまった。
タモリのオールナイトニッポンで今でも語り草となっている人気コーナーといえば、「NHKつぎはぎニュース」。その名の通りNHKのニュース音源を編集し、全く違った意味の言葉となり爆笑ニュースを作成。リスナーがNHKのニュースをダビングし編集するという、著作権も全く無視したこのコーナーはとんでもなく人気コーナーとなったが、当たり前だがNHKには無許可。NHKにばれてしまい、わずか3ヶ月で終了してしまった。
当然ながら当時はインターネットもない時代。今こんな放送したら一瞬で2ちゃんねるなどで叩かれスポンサーからクレームが届き、放送は終了しディレクターのクビのひとつも飛ぶであろう。
この番組の人気もあり、タモリは若者を中心に絶大な支持を獲得。「今夜は最高」や「タモリ倶楽部」など人気番組を次々に担当し、そして今もなお第一線で活躍中である。
ちなみにタモリのオールナイトニッポンは、1976年10月から1983年9月まで7年間放送。その後も1991年にスペシャル番組を放送。2008年には、オールナイトニッポン40周年記念内で特別放送を担当した。
当然ながら当時はインターネットもない時代。今こんな放送したら一瞬で2ちゃんねるなどで叩かれスポンサーからクレームが届き、放送は終了しディレクターのクビのひとつも飛ぶであろう。
この番組の人気もあり、タモリは若者を中心に絶大な支持を獲得。「今夜は最高」や「タモリ倶楽部」など人気番組を次々に担当し、そして今もなお第一線で活躍中である。
ちなみにタモリのオールナイトニッポンは、1976年10月から1983年9月まで7年間放送。その後も1991年にスペシャル番組を放送。2008年には、オールナイトニッポン40周年記念内で特別放送を担当した。
(Written by みぞてたかし)
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