20110405_01ひとつの歴史の終わりの先には、新しい歴史が始まる。
1985年3月、11年半続いた笑福亭鶴光のオールナイトニッポンが終了。鶴光に代わって土曜日のオールナイトニッポンを受け継いだのはABブラザーズだった。
ABブラザーズとは、中山秀征と松野大介の2人組。
小堺一機司会の「いただきます」にレギュラー出演し人気急上昇中だった若手にポスト鶴光の白羽が当たったわけだ。

深夜放送ブームを作り上げた鶴光の後釜という重いプレッシャーの中でスタートした番組だったが、鶴光を全く意識することなく独自の番組を切り開いた。
当時中山はアイドル的な人気があったこともあり、最初は女性リスナーからのハガキが圧倒的に多かった。

しかし番組内でのギャグコーナーが活発すると男性リスナーからの当初も増え、テレビで見せる「アイドル」とは別の「パーソナリティ」としてのABブラザーズの成長さを感じられた。
しかし彼らが不幸だったのは、担当曜日が土曜深夜だったこと。他の曜日は2時間単位の放送だが、土曜のみは1時から5時までの4時間プログラム。

「土曜の深夜は鶴光」。定着したイメージを払拭させるのは安易ではなかたっと思う。しかもその頃深夜テレビブームも到来。土曜深夜はオールナイトフジにTV海賊チャンネルなど華やかな番組が目白押し。鶴光のエロトークファンがテレビに流れてしまったのも不幸のひとつだろう。

番組開始当初は4時間だったABブラザーズのオールナイトニッポンはその半年後、2時間番組に縮小。そして1987年7月。番組改編でもない中途半端な時期で終了してしまった。
ところで書くまでもないことだが、ABブラザーズというコンビは今ではもう存在していない。その辺の経緯はラジオとは関係がないのであえて書かないが、当時の番組中のトークで今思えばというシーンがいくつか思い出される。
番組内では、ABブラザーズの活動内容やテレビ、イベントの裏話などもトークで披露された。その際2人の仕事の場合(当時人気アイドルだった、おニャン子クラブの話が多かった)、どちらかというと中山より松野が率先してトークを進行していくことが多いのだが、中山がピンの仕事の場合、もちろん主役が中山なので松野が聞き役となる。
「ドラマの収録が・・・」、「新曲の握手会が・・・」と楽しそうに話す中山に対し、「ほぉ」、「すごいねぇ」などと合いの手を入れる松野。コンビで売れてない方ってどんな気持ちなんだろうなと思って聞いていた記憶がある。

その後松野が芸人を辞め、小説家として発表した「芸人失格」なるABブラザーズ時代の自伝的小説を読んだ時、あの時の無理に明るく合いの手を入れる松野を思い出した。
これで締めようと思ったが、もうひとつ思い出した。確か松野がソロでシングルをリリースすることになり、それを番組内で宣伝したことがあった。中山のソロ活動は多かったが松野のソロは珍しく、その時の松野の声は随分はしゃいでいたような気がする。そしてそれにやる気なさそうに合いの手を打つ中山の声。なんとなく思い出してしまった。

(Written by みぞてたかし)


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