日本全国の「商店街」が衰退の一途をたどっている。かつて多くの人々でにぎわった地元の商店街にあった店舗は、郊外型の大型ショッピングセンターやネットショップなどの登場によって次々と閉店し、もはや“シャッター通り”になってしまった場所も少なくない。

そんな中、子どもからお年寄りまで幅広い層の人々がいつも訪れてにぎわっている商店街が、大阪市北区の天神橋筋商店街だ。なぜ今の時代でもにぎわいを保ち続けているのか、そのキーマンである天神橋筋商店連合会の会長、日本の“観光カリスマ”にも認定されている土居年樹さん(73)に今回、その秘訣などを聞いてみた。

天神橋筋商店街は、総延長2.6kmある“日本一長い商店街”として知られる一方、今でもさまざまな店舗が軒を連ね、人通りが絶えない。

古くは日本三大祭りとして伝わる「天神祭」が行われる大阪天満宮の参道として栄えた。だが戦後、大型スーパーが次々とオープンするにつれ、天神橋筋商店街も人通りが激減。そんな時、土居さんは実家の陶器店を継いだ後、1976年(昭和51年)から商店街の運営にも関わるようになった。

「商店街がどんどん衰退していく、そんな将来に当時、とても危機感を抱いた。今から30年以上も前のこと。そして、商店街の活性化のためにいろいろ“仕掛け”ていくことを考え始めたわけです」

まず、1981年(昭和56年)に空き店舗対策として日本で初めて「商店街立カルチャーセンター」を設置。音楽会や落語会、バザーなどを次々と実施した。そして1992年(平成4年)、かつて大阪天満宮の縁起物として売られていた「天神花」を復活させて土産づくりを開始。さらに1995年(平成7年)、400年ぶりに七夕まつりの神事を復活させるなどした結果、商店街を訪れる人々が徐々に増えていった。

また、1998年(平成10年)には「町街(まちがい)トラスト天神・天満計画」を旗揚げ。土居さん曰く「最近の日本社会がどうもおかしくなりつつあるのは、商店街のような“人々が集まる空間”が減りつつあることも1つ。商店街に人を集めるため、地元への取り組みや観光客を呼び込むための対策、あらゆる角度から仕掛けていった」とのこと。修学旅行生らが移動屋台で商売を体験できる「一日丁稚体験」、商店街を端から端まで完歩した人に贈られる「満歩状」なども好評を博した。

さらに、商店街を訪れる人々が増える大きな契機になったのが、2006年9月にオープンした上方落語の定席「天満天神繁昌亭」だ。土居さんは、上方落語協会の桂三枝会長らとともに設立発起人として名を連ね、開設を目指して奔走した。ほかにも、商店街周辺に子ども娯楽施設「キッズプラザ」や高級ホテルとして知られる「帝国ホテル」などを誘致したり、JR東西線「大阪天満宮駅」の名称についてJR西日本に自ら要望を出したりと、土居さんが仕掛けた取り組みはもはや数え切れない。

いまや日本全国、さらに世界からも商店街の活性化のノウハウを学ぶために視察に訪れる人々もあとを絶えないという。土居さんは「人に惚れ、店に惚れ、街に惚れる」ことをモットーとし、「時間がかかるかもしれないが、本気で取り組むという信念を持って何でもやらんとあかん。危機感を先取りして、常になにか仕掛け続けていることが大事」などとアドバイスする。

自ら「ほんまもんの街商人(まちあきんど)」と称し、まさに日本一の商店街としていかに盛り上げていくのかを仕掛け続ける土居さん。実際にお会いして話をうかがうと、そんな前向きな施設がとても伝わってきて、今後もその活躍が楽しみな存在だ。

天神橋筋商店街1丁目2丁目3丁目

(Written by Aki Shikama)


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