ごはんとカレーが混ざり合い、生卵がのっている『自由軒』の「名物カレー」。通常のカレーライスと外見も食べ方も異なるのもあり、一目見ただけで「自由軒のカレーだ!」と分かる人も多いだろう。

その『自由軒』は、大阪・難波に本店がある明治43年(1910年)創業の洋食屋さん。昨年でちょうど100周年を迎えた。時代を経て、外資フードチェーンや大型家電量販店などが周辺に次々と出店し、店周辺の光景はどんどん変わっている。だが、自由軒は今でも変わらず昔ながらのスタイルで営業している。長年通う馴染みの客をはじめ、最近は外国人観光客の姿も多いという。

現在、4代目の若女将として店を切り盛りするのが、吉田純子さんだ。

吉田さんが産まれた時から、店は今の場所で営業していて、小学生の頃からお店の手伝いをしていた。「(店近くにあった)精華小学校にはこの辺りの老舗で頑張るお店さんのお子さんは皆、通ってました。(戦後の上方喜劇を代表する役者の)藤山寛美さんの出身校でもあり、娘の直美さんもたまに自由軒に来られてましたね。直美さんはご自分の舞台で、料理を食器ごと出前する時に使う『岡持ち』に“自由軒”と入れられていたこともあります」

自由軒のある周辺は、かつて芝居小屋が多く、新歌舞伎座や国立文楽劇場もあり、今でも吉本新喜劇がすぐそば。人気がブレイクする前に来た吉本芸人を挙げると、明石家さんま、月亭八方、ダウンタウンら数多くいて、大阪出身のヴァイオリニスト・葉加瀬太郎、アーティストの槇原敬之ら有名人も多数来店。記念に撮った写真がところ狭しと貼られている。

この自由軒は明治43年、大阪で初めての西洋料理店としてオープン。当時、自由民権運動が起きていた時代背景の中で、創業者があえて店名に「自由」という言葉を入れたという。そして、炊飯器がない状況下でご飯とカレーを混ぜた名物カレーを考案して出すと、たちまち人気メニューになった。

「当時、卵は高級品でした。その卵をのせるアイデアを生み出した創業者の祖父を尊敬してやみません。だからこそ、今まで101年も途切れることなく店が続いてきているのですから」

名物カレーは、最初はそのまま、次に卵を御飯とカレーにかき混ぜ、最後は好みでソースをかける。生卵が混じると味がよりマイルドになり、ソースとの相性も意外にいい。一度で3つの味が楽しめるのだ。

昭和初期には、作家・織田作之助が自由軒に足しげく通い、のちに傑作『夫婦善哉』を発表。第二次世界大戦では店舗が焼失したものの、2代目店主が店を再建させて名物カレーも復活し、今日に至る。そしてここ2、3年、海外からの観光客が訪ねてくることも増えたという。

「香港や台湾、韓国などからのお客様が増えました。あちらで日本の観光ガイドブックに自由軒が載っているようです。最初は言葉もわかりませんし戸惑いましたが、今では英語のメニューも用意させていただき、片言の会話で通じるようになりました。皆さん美味しそうに食べていらっしゃるのを見るとやっぱりうれしいです」

最後に、店が100年続いた今、これからも続けられるよう頑張る“目標”を聞いてみた。

「何年も先のことは常に考えておりません。“今”が一番大事で、目の前のお客様に自由軒の料理を美味しく召し上がっていただくことに力を尽くしています。また、100年もお店が続き、名物カレーが長年愛され続けているという“自信”を持って、これからも料理を提供し続けていきたいと思っております」

100年という時間、目まぐるしく動いてきた時代の流れに、時には翻弄されながらも、ひたすら先祖の味を守り続けて提供してきた自由軒の名物カレー。お店の暖簾をくぐり、「いらっしゃいませ!」という女将さんの元気な出迎えを受け、生卵をかき混ぜながら名物カレーに舌鼓を打つと、どこよりも“大阪”らしさをいつも感じさせてくれる。

取材協力:大阪・難波 自由軒
http://www.jiyuken.co.jp/


(Written by Aki Shikama)


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