大正から昭和にかけて街を彩った「ホーロー看板」。
現在でも販売され変わらぬ人気を誇る「グリコ」に目をやるとあることに気づかされる。

似ている。あの吉本芸人に似すぎている。

そう、「世界のナベアツ」こと「桂三度」こと渡辺鐘氏の元相方、オモロー山下氏である。
ピンと来ないことは重々承知である。「やましたパッカ〜」というギャグでおなじみの・・・鼻の横が異常に臭い・・・チンピラに絡まれてボコボコになった芸人仲間を尻目にラブホテルの影から無傷で出てきた・・・あの山下氏である。

それでもピンとこないというのなら、コチラを見ていただければ、テレビなどで一度は見たことがあることに気づけるはずだ。


よく見れば高々と上げている両腕が「OMORO!」をする直前のポーズに見えなくもない。

なぜこんな顔になったのか、誰かモデルがいるのか、そもそもなぜこのポーズなのか。佐溝力著の「懐かしのホーロー看板」に興味深い記述があったので、紹介しておこう。
 
※「懐かしのホーロー看板」より引用
創始者の江崎利一は大正11年、「グリコ」発売にあたり商標とスローガンを考えあぐねていた。そんなある日、神社の境内で子供たちが走り比べをしているのを目にする。そのうち、先頭の子どもが、勢いよく両手を挙げてゴールインするのを目にした江崎氏。その生き生きとした姿にヒントを得てグリコのマークにしたという。

トレードマークとなっているランナーについては諸説ある。そのなかのひとりとされているのが、大正10年に大阪で開かれた第5回極東競技会のマラソンに出場した、カタロンというフィリピンの選手。しかし、創業時のものは幽霊顔で女子学生への人気が得られなかったそう。

そして昭和初期の看板には、頭が大きく、健康体系のランナーが描かれている。著者の佐溝さんは、日中戦争の直前であったことを理由に「表情がやや暗い気がする」と述べ、戦後間もなくの看板にあるマラソンランナーの絵柄は明るい笑顔になっていると解説している。

ちなみに「オモロー山下」看板は日中戦争の直前のもの。作者が「笑顔だけど表情が暗い」と感じたものである。

同著には発売当初の看板や戦後の表情が明るくなった看板も紹介されている。ランナーの服に描かれた「グリコ」のつづりが変わっていたり、それなのに「一粒三百メートル」のキャッチコピーは大正時代からずっと変わっていなかったりと、いろいろな発見が楽しめる。その他にも多くのホーロー看板が紹介されており、「“味の素”って最初は“あぢのもと”だったんだね」といった、小さな発見が詰まった一冊だ。





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