日本全国のお寺などで「命」をテーマに歌い続けながら活躍するシンガーソングライターのやなせななさん。浄土真宗本願寺派の僧侶である一方、生と死を見つめるいやしの歌を数多く制作し、まさに二足のわらじをはきながら全国を飛び回っている。

 やなせさんの歌は、美しく奏でられる音楽とともに、やさしいながらも芯の強い透き通った歌声がとても心に響いていやされ、温かな気持ちになる。これは、やなせさん自身によるこれまで30年あまりの波乱万丈な人生がベースにある。

 奈良県の小さなお寺で生まれたやなせさんは、物心ついた時から歌うのが大好きだった。そして、大学ではバンド活動に熱中し、卒業後の進路を決める際、アルバイトをしながら音楽活動をすることを決断する。

「実家は代々、お寺の仕事だけで生計を立てるのが難しいほど小さく、他の職業に就きながらお寺の務めも果たすのが当たり前。だから自分も当時、若さと勢いもあり、自らの情熱に素直に従って突き進みました」

 東京をはじめ、オーディションを受けて落ちること100回あまり。それでも音楽に対する情熱は止まず、ついに2004年5月、シングル『帰ろう』でCDデビューを果たした。だが、さらなるステップアップを目指そうとした矢先、子宮体がんであると宣告される。なんとか克服してカムバックしようとしたら今度は所属していた音楽事務所が倒産してしまった。

「子宮と卵巣をすべて摘出しなければならず、女性としてのショックは大きかったです。だから『自分にはもう音楽しかない』と、手術後はもうそればかり考えていて。そしたら今度は、音楽で支えてくれていた事務所もお世話になった人も突然いなくなった。さすがにもうダメかもしれない、と思いましたね」
 
 そんな時、ひとりのミュージシャンの「いのちの終わりって“時計の振り子”がだんだんゆっくりになって静かに止まっていくようなもの。自分の手で振り子を止めてしまうなんておかしいと思う」と言われたのをキッカケにはっと気付かされる。そして、再び音楽の世界に情熱を燃やし、自力でなんとかCDを製作して発売までこぎつけた。しかし、コネもなく1人でがんばってもCDの売れ行きはよくなく、ライブを行ってもお客さんを集めることすら難しかったい。そんな先の見えない試行錯誤が続く状況の中、大学の同級生から「お寺で講演してみないか」と声をかけられ、歌ではなく研修会をお寺で行ったことが“転機”となった。

「たくさんの人々を前に、自分のこれまで作ってきた歌の背景についてお話ししました。身近な者の死、戦争、震災、認知症、そしてガン。自らの病気体験を話したのはあの時が初めてで、歌って語る自分に耳を傾けてくれ、客席で涙ぐむ人を見て、自分がいままでやってきたことが間違ってなかったことを悟りました」

 これまで寺院でのコンサートは全国で230回あまり行ってきた。最近は東日本大震災の被災地に足を運ぶことも多い。特に、今年1月に発表した『春の雪』は、地震で被災した人々から聞いたエピソードをまとめて曲にしたもので、被災地で歌うと涙する人も多いという。2010年には、これまでの人生を振り返った初の自伝エッセイ『歌う。尼さん』を発売した。

「今後の夢、やっていきたいことは、音楽を志した時から変わっていません。『明日や未来のことを考えて今を生きるのでなく、今を大切にすることですばらしい明日を作って生きたい』と思っています。僧侶として、シンガーソングライターとして、この今、自分に与えられた役割をこれからも一生懸命がんばっていきたいです」

画像提供:やなせななさん



やなせなな オフィシャルホームページ

(Written by Aki Shikama)