中島みゆきの「地上の星」、2000年にリリースされた彼女の通算37枚目のシングルである。この楽曲に対して、彼女の所属するヤマハミュージックコミュニケーションズ制作宣伝部副部長の菅義夫さんは、「中島みゆき自身のシングル曲の中で最大のロングセラー」と語る。そんな『地上の星』の誕生のきっかけは、NHK『プロジェクトX』の番組プロデューサー・今井明さんの熱い思いからであった。
「私自身が熱烈な中島みゆきさんファンなのです。10年以上仕事がうまくいかなくて、ビジネスホテルを転々としながら日本海の海沿いを一ヶ月ほど旅していたときに、有線放送から中島さんの歌が流れてきたりして、とても思い出深いです。それに彼女の歌は常に弱者からの視点で書かれていて優しさを持っていますよね。」と今井は語っている。中島みゆきの持つこの弱者の視点。これが“普通”の人達の生き様を描いた『プロジェクトX』を立ち上げるときに、“この主題歌を歌うのは中島みゆきしかいない”と今井に思わせたのだ。
今井さんは中島に直接依頼の手紙を書いた。所属事務所には中島宛の手紙と一緒に40本〜50本くらいの番組の要旨が送られてきたという。中島みゆき自身も当時を振り返って、“最初に番組のプロデューサーからお手紙をいただいたとき驚いたんです。所属が歌の世界と関係の薄い、社会情報番組部の方だったもので。”と、雑誌のインタビューに答えている。
所属事務所の当時の担当者の話では、「打ち合わせのときに今井さんに“無名の人々の光を歌にしてください”と言われて完成したのがこの歌。中島は歌を作るとき、スタジオや部屋にこもることはないようだが、“気持ちの電源はいつもつけておく”。そうすると“言葉やメロディーが飛んでくる”らしいんです。この『地上の星』も、無名の人々の生き様にチャンネルを合わせていた彼女の頭の中に、“飛んできた言葉たち”によって作られてきたのではないでしょうか。」と、楽曲誕生の経緯を語っている。
「中島さんが歌を書かなければ、番組に主題歌を入れること自体をやめるつもりだった。」という今井さんの思いと、市井(しせい)に生きる無名人たちを応援する中島の気持ちとがすぐさま一つに融合したのか、中島はわずか一ヶ月で歌を作り、レコーディングまで済ませてしまった。2002年の紅白歌合戦に出場した彼女の歌声は、『プロジェクトX』で取上げられたゆかりの地、富山県の黒四ダムから、厳冬の寒さの中で中継された。
【Nicheee!編集部のイチオシ】
・スカイツリーの麓にてんぷら油で走る自動車
・今年で35歳!「フエキくん」グッズ続々 誕生秘話も
・みんなを笑顔にするまんじゅう!?名物「へこきまんじゅう」
・よく見かける“コレ!!”のヒミツ!?
・北海道限定飲料「リボンナポリン」のアメが人気 「ナポリン」の由来は・・・
・あのロングセラー商品も初めは新商品だった!「ヨード卵・光」に隠された秘話
この物語の風景は、2冊の絵本で・・・
すうがくでせかいをみるの
もろはのつるぎ (有田川町ウエブライブラリー)
、