イタリアのローマで、有名な観光スポットのスペイン広場やトレビの泉などから世界一の小国、バチカン市国に歩いて向かう途中、右側に天使の彫刻で飾られた「サンタンジェロ橋」が現れる。この橋は136年、古代ローマ帝国だった当時のハドリアヌス帝によって建造され、後年、“バロックの天才”ベルニーニによってこの天使の像が加えられた。

そして、橋を渡ると、長いローマの歴史で欠かせない「サンタンジェロ城」だ。

まず、なぜ天使なのかというと、590年、ペストが流行した際、ローマ教皇がサンタンジェロ城内で祈ったところ、上空に大天使ミカエルが現れて街を救った伝説に由来する。今から2000年近く前の出来事、まさに「ローマは一日にして成らず」。

サンタンジェロ城は建造後、ローマ歴代皇帝の墓となった。中世以降、要塞や法王の住居をはじめ、捕らえた人々を収監する牢獄など、さまざまな用途に使われた。特に、無実の罪を着せられて殺された、歴史上で犠牲になった人物も多く、数々の伝説が今でも語られている。

たとえば、ローマ人なら誰もが知っている美少女、ベアトリーチェ・チェンチ。父親殺しの罪でサンタンジェロ城の牢獄に入れられ、1599年に処刑された。この罪をめぐり、彼女の父がバチカンの事務に深く関わっていたことなどから「罠にはめられたのでは」との意見もある。『サンタンジェロ橋に薄幸の美少女の幽霊が出る』との噂は絶えないようだ。

また当初、サンタンジェロ城はハドリアヌス帝によって建造されたが、実は自身の墓はここにはなく城に改造されてしまったため、以降、次々と怪奇現象が起こったという。たとえば、兵士の亡骸がそばのテレベ川に浮かんでいた、城兵が何人も行方不明になったなどの数々の記録に残されている。

さらに、1950年代にこの城を訪れたアメリカ人夫婦の女性のほうが3日間行方不明になり、その間、いつも閉まっているはずの扉を通り抜けて古代ローマの服装を着た人々にもてなされたという。しかし、この女性は翌日、突然亡くなり、死因は不明。

一方、バチカンのサン・ピエトロ大聖堂とは“秘密の通路”でつながっているといわれる話も有名だ。

ほかにも、特に中世において、血塗られた史実の舞台となったサンタンジェロ城。実際に城内に入場すると、なにか不気味な気配が確かに感じられた。もし霊感が強い人は、くれぐれも注意したほうがいいかもしれない。


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