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週末にはどこもかしこも人ばかり。せっかくの休みの日に繁華街でパワーを使い切るのが苦手という人は実は多い・・・はず。日曜日じゃなくて、もっと違う日に休めたらなと、ぼんやり考えていたが、そういえば理容室は月曜日に定休日が多い。どこもかしこも日本だったら月曜日が休みという所が大半を占めるのではないだろうか。

疑問に思い、少し調べてみると、戦後にその期限があるかもしれないという興味深いデータが見つかった。
全国理容生活衛生同業組合連合会のHPには以下のような説が紹介されている。


−−『第2次世界大戦前後の日本の社会的背景に由来する重大な理由がありました。その理由とは・・・
第2次世界大戦前後の日本は、渇水や石炭不足などから電力供給が追いつかず、電気の使用制限だけでは対応でないため、「休電日」と呼ばれる電力の供給を停止させる日が設けられていました。業務上、電気を多く使う理容店は、その休電日に合わせて定休日を設定したため、その名残として、今も月曜日が定休日となっているのです。』というのだ。
つまり、戦後、電力消費量が最も高かった理容店は、電気が混みあう曜日の営業を自粛して月曜日を定休日とするのが通例だったという。

でも、通例だからと軽く考えていたら、次のような記述があった。
−−『昭和21年(1946年)11月には「電気需給調整規則」が公布され、その中では、「主な制限内容・公示期間は、使用停止日、時間、使用電力量、最大電力の限度を超えて電気を使用してはならない」とされていました。』

つまり、当時電気をたくさん使うとされていた理容室は、他の理容室と電力がかぶらないように配慮しなくてはならなかった。
よほどの理由がない限りは月曜日に休む事は実質強制だったのか。

さらに、月曜休みが強制されるだけではない。
−−『電気の使用制限だけでは対応できず、緊急遮断(停電)が相次いで行われ、以降、ロウソク営業、緊急遮断、休電日の指定も、第一段階の週1日程度から、緊急時には第二、第三段階の週2日、3日と増加されました。』
月曜以降の分の電力が足りない場合には翌日以降もしばらく「休電日」に強制的になってしまう。これじゃあもし連休にでもなってしまえば理容室の商売はあがったりだ。
コレは怖い。

−−『昭和21、22年(1946年、1947年)頃の電力は、ほとんどが水力発電に頼っていたようで、当時の新聞記事にも「東京地方並びに水源地に16ミリの雨が降り、これで3日分の電力が賄える模様・・・」
という所からは、水不足の季節ともなれば、農家でなくとも理容室もヒヤヒヤだったに違いないと想像がつく。

しかも、昔は理容店だけでなく、百貨店まで影響を受けていた。
−−『これは理容店だけではなく、デパートにも影響がもたらされていたようで、伊勢丹100年史、高島屋150年史には「昭和14年(1939年)7月に、日本百貨店組合東京支部の会合で月曜定休となる」とあり、また三越資料編纂室の『定休日の変遷』でも、「昭和22年(1947年)8月、週休(水曜日)の変更、23年11月から月曜日定休となる」とあります。』
日曜日でないのはまだマシだ。でも経営の立場から言えばなんとまあ迷惑極まりない。いや、今が恵まれすぎているだけなのかもしれないが。


全国理容生活衛生同業組合連合会

(Photo by jamesjustin