「偉人」とは・・・
歴史に残る重大事を成し遂げた人物のことである。生前から重要人物とされていた場合が多いが、フィンセント・ファン・ゴッホや坂本龍馬のように、本人が死去した後になって有名になることも少なくない。
(Wikipediaより)
そんな歴史に残る重大事を成し遂げた人物にも、きっと我々、一般大衆のような人間臭い一面もあるはずだ・・・というか、もっともっとひどい “汚点”のような一面もきっとあるはずなのだ!!
そこで今回は、そんな偉人の隠しておきたい“汚点”を一挙大公開。
第二回目のゲストは死してなお伝説として語り継がれるアメリカ大統領「J・F・ケネディ」さん。
そんな彼の知られざる“汚点”に迫る。
■「J・F・ケネディ」とは
≪プロフィール≫
【生年】1917年5月29日
【没年】1963年11月22日
1960年、民主党大統領候補となり、ニクソンを破って当選、1961年1月に43歳の若さで第35代大統領に就任した。
1962年10月のキューバのミサイル危機(キューバ危機)では強気のリーダーシップを見せた。また米ソ和解を探り、1963年には部分的核実験停止条約をソ連と結んだが、同年11月22日に遊説先のテキサス州ダラスで暗殺されてしまった。
≪知られているすご〜い経歴≫
・1941年(24歳)
海軍に入り、第二次大戦中水雷艇長として活躍。
・1946年(29歳)
民主党下院議員に当選。
・1956年(39歳)
副大統領候補に立候補。
・1961年(43歳)
民主党大統領候補となり、ニクソンを破って当選。
・1962年(44歳)
キューバ危機。
・1963年(45歳)
遊説先のテキサス州ダラスで暗殺される。
≪ “汚点”とも言える、裏エピソード≫
・1920年頃(3歳前後) 部屋はちらかりっぱなし
非常に裕福だったケネディ家。全てのことはメイドがやってくれていたが、ケネディの部屋はいつも、床には濡れたタオルの山、服はぬぎっぱなし、引き出しはひっくり返されているという散らかり放題だった。
外でも、ボートから降りたケネディが、メイドが拾うだろうと、歩きながらどんどん服を脱いでいったこともあるという。
・1933年頃(16歳前後) 超虚弱体質で、ついたあだ名は“ねずみ顔”!?
子供の頃から非常に体が弱く、様々な病気に係り入退院を繰り返した。当時のケネディは身長183cmに対して、体重が57kgしかなく、周囲から“ねずみ顔”というあだ名で呼ばれていた・・・。
・1934年頃(17歳前後) “糞拾いクラブ”設立
コネティカット州ウォリントンのチョート学校で学んでいたケネディだが、校長から“モッカーズ(反抗的な生徒たち)”として有名であった。
これに対し、ケネディは仲間たちと、“マッカーズ(糞拾い)・クラブ”なるものを結成し、地元の宝石店で22金のシャベルの形をしたバッジをつくらせ、制服のベストにつけて歩き、放校処分にもなりかけた。
・1962年頃(44歳前後) 妻の浪費癖に悩み、愚痴りまくり
妻・ジャクリーヌの浪費癖がひどく、常に値段を気にせず買い物をしまくっていた。さすがのケネディもこれには頭を痛め、「妻のおかげで資産が減る一方だ」と愚痴っていたという。
ある歴史家の調べでは、1961〜62年のジャクリーヌ個人の支出はケネディの年収10万ドルを超えており、その半分近くが被服費だったという。
【出展】
「J・F・K 未完の人生」ロバート・ダレク(松柏社)
「フォトバイオグラフィジョン・F・ケネディ」ギャレス・ジェンキンス(原書房)
いかがでしたか。
あの偉人の意外な“汚点”。
みなさんもいつかは偉人になるために今は“汚点”を積み重ねてみてはいかがですか。
(written by ちゃかし 改め くしBK)