あの人気シリーズが「ヒト編」になって堂々の復活です。
調べてみると、出るわ出るわ・・・
読めば一皮むけること間違いなしの雑学をバシバシ紹介していきます。
題して、「この名前だったら嫌だったかも・・・とっても意外な名前の最終選考ボツネーム(ヒト編)」第一夜。
■「SPEED」/「ハブとマングース」・「スーパーもんちっち」
【何の迷いもなく「SPEED」をチョイス!!】
某音楽番組でグループ名を募集したSPEED。最終選考に残った候補の中には、沖縄出身ということで「琉球ガールズ」「ハブとマングース」「スーパーモンチッチ」等の名前があった。その中で最終候補として残ったのが、「沖縄チャキチャキ娘」と「SPEED」の2つ。本人たちは何の迷いもなく「SPEED」をチョイスした。
SPEEDという名前が決まったのは、日本テレビで放送していた「THE夜もヒッパレ」という番組。放送当時、番組総合演出の菅原正豊氏が「小学生の女の子を見せられ面白いと思った」という理由から抜擢された4人組だった。
グループの名前も番組の中で決まった。SPEEDのほかに「リトルモンキーズ」「ハブとマングース」「スーパーもんちっち」「琉球ガールズ」「リトルエンジェル」なども候補だった。
(1997年12月14日 日刊スポーツ)
■「優香」/「パンサー舞」
【芸名は「週刊プレイボーイ」の公募で決められた】
一番最初に出た雑誌が『週刊プレイボーイ』で、優香という芸名も週刊プレイボーイの誌上とインターネットで公募して決められた。
公募には、1万7000通の応募があり、その中で“優香”と“優菜”の二つが最終的に残った。
2つの候補の中から、周りのスタッフに「優香」の方が目に留まると言われたことや、当時「〜っていうか」という言葉が流行ってことから優香に決定した。
(2004年5月 JUNON)
■「『男はつらいよ』の寅次郎」/「熊五郎」
【響きを重視して「くま」⇒「とら」へ】
山田洋二監督が、渥美清主演ドラマの脚本を依頼されたのは、1968年(昭和43年)の夏。渥美さんに、赤坂の旅館へ来てもらい、いろんな話をした。すると、山田監督は、「この人は本当に頭がいい人だなあ、こういう人が愚かな男を演じると面白い話が出来るのでは」と思い、すぐに落語の熊さんと結びついた。それこそが『男はつらいよ』の始まりだった。
そのため、当初の名前は「寅次郎」ではなく、落語の通り「熊五郎」にしようと考えていたという。しかし「くま」っていう音は、もこもこした感じがする。「とら」の方が響きが良いし、滑稽感もある。そして、次男坊だから、それに次郎をつけ、車寅次郎という名前がつけられたのだった。
(2006.12.06 読売新聞)
■「ガレッジセール」/「さとうきび畑でつかまえて」・「具志堅ようこそ」
【沖縄っぽさを前面に押し出した芸名を考えていたが・・・】
コンビ名は「ガレージセールのように気軽に売り出せる笑いを」の思いを込めて渋谷公園通り劇場の作家に命名してもらったもの。当初は「ガレージセール」であった。しかし、2人は当時、「ガレージセール」が言いにくく、最初の「ー」の部分を「ッ」に変えたら言いやすかったという事から今の「ガレッジセール」になった。ちなみに、ボツになった芸名としては「さとうきび畑でつかまえて」「具志堅ようこそ」がある。
■西城秀樹/「広島龍太郎」
【出身地の「広島」がついた名前が有力視されていたが・・・】
西城秀樹さんの芸名は「女学生の友」という雑誌で公募して決まった。出身地の「広島」と本名の「龍雄」からとったネーミング「広島龍太郎」は有力視された名前だった。
いや〜名前の雑学って本当におもしろいですね。
(written by くしBK)