日本で“都”が置かれていたのは、奈良の飛鳥京や平城京、京都の平安京、東京の江戸などが有名だが、大阪にもかつて都のあった時期が存在した。現在の大阪市中央区、難波宮だ。しかも、2回にわたって大規模な宮殿、皇居があった名残を、今も感じることができる。
難波宮史跡公園に設置されている案内板などによると、この難波宮は長らく“幻の宮”といわれていたが、1954年(昭和29年)からの発掘調査により、1961年(昭和36年)に大極殿が発見された。現在、大阪城公園の南西角にあたる馬場町(ばんば)交差点から約200m東南の場所に、この大極殿の基壇を復元した石造りの壇が見られる。
最初の宮殿は孝徳天皇の難波長柄豊碕宮(なにわのながらのとよさきのみや)で、前期難波宮と呼ばれる。孝徳天皇は、中大兄皇子と中臣鎌足らが蘇我入鹿を討った大化の改新後、飛鳥から難波(大阪)に都を移した時の天皇。前期難波宮は『日本書紀』に「その宮殿の状、ことごとく諭(い)ふべからず(ことばでは言い尽くせないほど威容を誇る宮殿)」と記載されている。しかし、中大兄皇子らと対立した孝徳天皇は孤立し、飛鳥に都が移っても1人とどまり、難波長柄豊碕宮で崩御した。686年(朱鳥元年)の火災で難波長柄豊碕宮は全焼してしまう。
一方、後期難波宮も存在する。奈良時代の726年(神亀3年)に聖武天皇の命によって、平城京の副都として大極殿などが造営され、744(天平16年)には遷都して再び難波宮が首都になったという。だが、翌年に紫香楽宮に遷都し、さらに長岡京への遷都で難波宮の主要な建物は移築され、廃都となった。
難波宮史跡公園を歩くと、前期と後期の難波宮の跡を見ることができる。それぞれ色分けされているのでわかりやすい。大極殿などの立派な建造物などは存在しないが、近くに大阪城もあり、大阪がかつて天下の中心だった時代に想いを馳せることができるだろう。
難波宮跡公園(なにわのみやあと公園):OSAKA-INFO 大阪観光情報