その大阪城を造ったのが、安土桃山時代に天下統一をなし遂げた豊臣秀吉なのは、とても有名な話。秀吉の没後、徳川家康が関が原の合戦で勝利して征夷大将軍となり、一方、豊臣家は大阪冬の陣・大阪夏の陣で滅ぼされ、その時に大阪城も落城したことは、歴史の授業で誰もが習っただろう。
ではその後、大阪城はどうなったのか。
落城してほどなく、1620年(元和6年)、江戸幕府によって新たな大阪城が築城された。豊臣秀吉の時のように、飾り瓦に金箔が施されるほど豪華ではなかったが、同じく外層5層の天守や本丸、櫓、そして石垣普請などが、動員された諸大名らによって行われて完成した。だが、1665年(寛文5年)に落雷によってあえなく焼失してしまった。
その後しばらく、石垣のみを残し、ほぼなにもない状態が続いた。
天守閣が復興されたのは、1931年(昭和6年)。昭和天皇の即位礼にともなって企画された記念事業によって造られたのが、今の大阪城天守閣になる。建設費は市民からの募金、鉄筋コンクリート造、そして、登録有形文化財に指定されている。大阪のシンボル的存在なのでとても立派なのだが、姫路城のように世界遺産でも国宝でもないのは歴史が浅いからなのも1つの理由。
というわけで、今の大阪城は「3代目」が正解となる。
豊臣秀吉の栄光を垣間見ることはほぼできないが、「都会の中に立派な天守閣を持つお城がある」のは全国でも珍しく、大阪の観光スポットとして国内外の観光客にずっと人気が高い。
大阪城天守閣
http://www.osakacastle.net/
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