johnsonmagic

世の中で一番モテる男は誰なのか・・・
そんな疑問を持った僕は、「各世代でモテまくった男」をとにかく調べてみることにした。獣のように調べてみた。
すると・・・出るは出るは、たくさんのモテ男に行きつくことができたのです。
なので、今回はそんな僕が見つけ出した究極のモテ男を紹介します。

第二回目のゲストは「マジック・ジョンソンさん」。
アメリカのバスケット界では「神」とも称される、ジョンソンさんのモテ秘密とは一体なんだったのだろうか・・・。


≪関係を持った女性の数は1万人以上!!モテモテすぎたバスケット界の神様≫
氏名:マジック・ジョンソンさん(職業:元バスケットボール選手)

◆プロフィール
1959年生まれ。
80年代、ロサンゼルス・レイカーズを率い、得意のノールックパスでファンを魅了し、NBA優勝を飾る事5回。ラリー・バード率いるボストン・セルティックス、アイザイア・トーマス率いるデトロイト・ピストンズとの数々の戦いは現在でも語り草になっている。1991年にはHIVに感染していることを発表し、世界中に衝撃を与えると同時にNBAからの引退も発表する。引退後の1992年、バルセロナ・オリンピックにおいて、マイケル・ジョーダン、ラリー・バード、チャールズ・バークレー、カール・マローン、ジョン・ストックトンといったNBAのスーパースター達を擁する伝説のアメリカ代表チーム:ドリームチームを率いて優勝に導き、ファンのみならず世界中にバスケットボールの魅力を伝播させた。96年には「NBA50年の偉大な50人の選手」の一人に選ばれ、02年にはバスケットボールの殿堂入り。現役引退後はバスケのコメンテイターや企業家として活躍するかたわら、HIV及びエイズに対する啓蒙活動に務めている。

■関係を持った女性の数は・・・1万人以上!
無類の女好きとして評判のジョンソンは、試合で訪れる米国中の町々でグルーピーの女の子たちとは毎日やり放題。ストリッパーや売春婦も買い漁っていた。プロ生活12年間の間の女性の数となると優に1万人は超えるという。

モデルのビクトリア・セパルペダ嬢もその1万人の中の1人。
彼女が1991年11月26日付の芸能紙「ナショナル・エンクワイアラー」に語ったところによると、「私は1987年からジョンソンと付き合ってたけど、彼は、絶対にコンドームを使わないの。他の子たちとはアナルもやっていたわ。でも、ひどいと思わない!彼は既にエイズ宣告されていた11月1日に私のアパートに来て、コンドームなしのセックスをしたの」

ポルノ女優のヒーザー・ハンター嬢も1万人の中の1人。
ジョンソンの友人のデール・ビアード氏が、「去年の9月にクーキー夫人と結婚する直前まで、ジョンソンはハンター嬢のところに通っていた。ポルノ女優の彼女を愛人にしているところを知られないようにものすごく神経を使っていた」と語っている。

マイク・タイソン夫人だった女優ロビン・ギブンズもジョンソンと付き合っていた。それもタイソンと結婚していた最中の浮気沙汰。ボクシング界のヒーローに「俺の妻から手を引かないとパンチを食らわすぜ」と喧嘩を売ろうとしたというエピソードまである。

■いつ、誰とヤったか覚えていない!!
〜マジック・ジョンソンの手記より〜
私の場合、エイズ・ウイルスを持つ女性との無防備なセックスで感染したことは間違いない。問題は、それがいつ、どこで、どの女性だったかを特定できないことだ。とにかく数が多かった。私は結婚するまで、いわゆる独身生活を満喫していた。シーズン中は試合のため旅から旅するのだが、その夜の相手の女性がみつからなかったことなど決めてなかった。
私はできるだけ多くの女性と夜を共にするためにベストを尽くしてきた。そして大半は無防備のセックスだった。

■一晩で10回も・・・!?
記者会見で涙ぐみながら告白し、世間に衝撃を与えた。それから今年でちょうど10年目を迎えたが、エイズは発病していない。彼がエイズに感染したのは、妻・クッキーがありながら、数百人といわれる大勢の女性たちと関係を持ったため。
浮気の最盛期(?)には、一晩で10回もセックスしたというからビックリ。エイズ感染と同時に現役引退したが、現在は全米で数軒のレストランを経営。実業家として大成功している。
「いま、自分がこうしていられるのは、決死で見放さなかったクッキーのおかげだ。妻には心から感謝している。」

■常に40〜50人の女がスタンバイ!
「試合から戻ると、遠征先のホテルのロビーにはいつも40〜50人の女性がたむろしていた。連中はサインをせがむふりをして近づいてくる。
こっちはサインをしてやって、その脇にルームナンバーを書いておけばいい。部屋に戻ると、今度は電話のメッセージがゴッソリある。『赤いドレスを着てロビーで待っているわ』とかね。
そういう連中のひとりで友達になった女性はオレをオフィスに呼び、机の上でやるのが好きだった。しかも、いつも隣の部屋で会社の人たちが会議をやっているときにね」

■性転換したショーガールもOK!
自家用機で“賭博と享楽の都”に飛んだのは11月13日。
「ホリフィールドVSボウ」のヘビー級タイトルマッチ観戦が目的だったが、まず、リヴィエラ・ホテルにチェックイン。そして、夕刻、ホテルの事務に出掛け、真っ赤なホットパンツでワークアウト中の美女をマークするなり自己紹介。
彼女がホテルのトップレスダンサーのシェリー・レニーとわかると、ポケベルの番号を教え、「いつでも電話して」とモーションをかけまくった。
ところが、その晩、ボクシング観戦を終えて御ホテルに戻ったマジックは、ピンクのドレスのボディコン美女を同行。2人はカメラを避けるようにその場で別れたものの、結局、同じエレベーターに乗ってカジノに行って1時間ほど遊んだ後、彼の泊まっているペントハウス用の特別エレベーターに乗って姿を消した。
それから2時間程して、マジックは1人で下りてきて、ラスベガスの有名なクラブに出掛け、売れっ子性転換ショーガールのジャナ・スティール嬢を口説き始めた。ジャナ嬢によると「彼ったら女の子に囲まれてるのに、あたいのところに来て『もっと興奮したいんだ、僕のいってる意味わかるだろう』って、やりたくてたまらない目付きなの。だけど、彼は結婚してるし、エイズでしょ。その場でバイバイしたわよ」という。
しかし、それでも懲りないマジックは女の子たちと朝の4時までドンチャン騒ぎ。翌夜には、シェリー嬢出演のレビューを見た後、彼女に再アタックして、1時間ほど2人だけでうまいことやっていたという話。

いかがでしたか。
ジョンソンさん、ちょっと異常なモテっぷりですね・・・。まぁ難しいとは思うのですが、皆さんも見習えるところは、見習ってみてはいかがでしょうか??(※スケールが違いますかね、やっぱ)

≪出典≫
1991.12.6「FOCUS」
1991.12.7「週刊現代」
2001.12.18「女性自身」
1992.11.6「週刊ポスト」
1992.12.11「FOCUS」

(written by くしBK)