タモリ1

今、話題沸騰中のタモリ入浴法。芸能界きっての美肌といわれるタモリさんだが、「湯船に10分つかれば、体の汚れの80%は落ちる」と、お風呂では石けんもボディーソープも使わないと話す。
この入浴法を、ローラをはじめ、福山雅治や妻夫木聡といった美肌の面々が実践しているという。タモリさんって、やっぱりすごい・・・。タモリさんって、どんな人なんだろう・・・?


Wikipediaによると・・・
タモリ(1945年8月22日 - )は、日本のお笑いタレント、司会者、俳優、歌手、ラジオパーソナリティー、作詞家、作曲家、作家、実業家。本名:森田 一義(もりた かずよし)。
福岡県福岡市出身。田辺エージェンシー所属。妻は2歳年上の一般人で自身の個人事務所の社長を務める。夫人との間に子供はいない。女優の伊佐山ひろ子とは遠戚。



ということで、タモリさんのことが、めちゃくちゃ気になったので、ちょっと調べてみた。


■2日酔いで番組出演して子供を罵倒!?
1992年3月に放送された『笑っていいとも!』内の「26歳に見えないコンテスト」コーナーで、出場者の子どもに「俺は子供が嫌いなんだ」「気に入らねぇなぁ。この野郎」と発言。次のコーナーで明石家さんまに「昼間から酔っぱらって、子供にあんなにツッコンでどうするんですか?」と諭されてしまう。この日、タモリは都内のゲイバーで朝7時まで痛飲していたのだとか。翌日の読売新聞の投書欄には21通の抗議の手紙がきた。
参考:EX大衆(2012.08)

■人気キャラクターに暴言連発!!
「テレフォンショッキング」にキティちゃんが登場した時の出来事。タモリはキティちゃんに「口がない」「身長がリンゴ5個分なんて嘘だろう!」など意地悪な質問をぶつける。さらに、当時の日本の女の子に人気だったイギリスが生誕の地であることを「計算高い」と分析した。世界に誇る人気キャラにここまで言える人はタモリ以外いない。また、ガチャピンがゲストに来た際には、「身長165cmで体重80kgってメタボだよ」と警告している。
参考:EX大衆(2012.08)

■赤塚不二夫とは“ホモだち”だった!?
タモリの才能を見出した恩人である赤塚不二夫と、「こんなに仲がいいのだから愛しあえるはず」と、赤塚の自宅の風呂場で裸になって30分抱擁した2人。当然のように興奮するはずもなく、“ホモだち”になる計画は失敗に終わった。
同じようなエピソードがビートたけしと島田洋七にもあったが、「癖になりそうだからやめよう」とこちらも未遂に終わったようだ。
参考:EX大衆(2012.08)

■金粉ショーに挑戦し、死にかけたことがある!?
『今夜は最高』で『007ゴールドフィンガー』のパロディとして、タモリは愛染恭子との金粉ショーに挑戦。グラサンも金粉まみれながら、タモリは愛染の金に輝くオッパイをワシ掴み。表向きは「バカエロ」な企画だが、通常であれば20分で皮膚呼吸が困難になるところ、収録時間が延びてしまい、乾いた金粉が毛穴に入って熱くなるなど危険な状態に陥ってしまったのだった。『お笑いウルトラクイズ』で若手芸人が金粉ショーをしたのは、その9年後のことだ。
参考:EX大衆(2012.08)

■テレフォンショッキングの当初の目的とは!?
1982年10月からスタートした『テレフォンショッキング』。当初の目的は、伊藤つかさの大ファンであったタモリが芸能界の交友関係をつないでいって彼女にたどり着くことだった。
その目的を達成したのは1985年7月8日。つまり、この日に最終回になってもおかしくなかったのだ。
参考:EX大衆(2012.08)

■上京してから、無類の蕎麦好きに!
『テレフォンショッキング』などでたびたび言及しているが、タモリは福岡にいた時は博多うどんが好きで、そばには目もくれなかったという。上京して、早稲田大学の新入生歓迎コンパの時に行った普通の蕎麦屋で、タモリの意識が変わる。福岡と違って出汁もつゆもしっかりしていることで、一気に蕎麦狂いになるのだった。
現在、週に3〜4回は蕎麦屋に行くというタモリ。『笑っていいとも!』の後も蕎麦屋で食事を取ることが多いのだとか。そこでは、ビール→日本酒という流れで昼酒を楽しんでいる。
参考:EX大衆(2012.08)

■イタリア大使にスカウトされたことがある!?
20年以上前、イタリア大使館でのパーティーに出席した際に、イタリア人に対してデタラメなイタリア語を話して大盛り上がり。面白がったイタリア大使に「ぜひ、大使館付きの芸人になってくれ」と誘われた・・・らしい。
参考:EX大衆(2012.08)

■「いいとも」は1週間で辞めるつもりだった!
1982年10月にスタートしたフジテレビ系「笑っていいとも!」を立ち上げ、タモリを司会に抜てきした元同局プロデューサー、故横澤彪さん(享年73)の夫人、雅子さんが22日、サンケイスポーツの取材に応じ、「開始当時、主人はタモリさんから『すぐ辞めるよ』といわれていたんです」と振り返った。
雅子さんは「タモリさんに『1週間で辞める』といわれたそうです。主人は『じゃぁ、そこまでで』と答えたといいます」と明かした。 
参考:msn産経ニュース(2013.10.23)

■ブルマ姿でサザンと共演!
タキシード姿でトランペットを演奏するタモリさんを見たことがある人は多いでしょう。しかし、ブルマ姿のタモリさんを見た人は少ないのではないでしょうか。
タモリさんの初期の芸の一つである、中洲産業大学教授に扮したタモリさんが、ブルマをはいて、『勝手にシンドバッド』でサザンオールスターズと共演しました。1979年、TBSで本当に放送されました。
参考:マイナビウーマン(2013.10.18)

■2回目のテレビ出演はなんと「徹子の部屋」!?
30歳で芸能界入りしたタモリ。2回目のテレビ出演は、なんと泣く子も黙る『徹子の部屋』!
1回目のタモリさんのテレビ出演を見た黒柳徹子さんが、直々にオファーしたそうです。
参考:マイナビウーマン(2013.10.18)