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なでしこジャパンの佐々木則夫監督は、3月4日からポルトガルで開催されるアルガルベカップに臨む代表22人のなかに澤穂希を招集しなかった。
6月にカナダで開催される女子ワールドカップへ向けて、女子サッカー界のレジェンド、澤穂希が最終的に代表に召集されるのか?されないのか?注目が集まっている。
そこで、澤穂希について、ちょっと調べてみた。


Wikipediaによると・・・
澤 穂希(さわ ほまれ、1978年9月6日 - )は、東京都府中市出身の女子サッカー選手。日本女子サッカーリーグ・INAC神戸レオネッサ所属。ポジションはミッドフィールダー。主にセンターハーフを務めることが多い。
アジア人史上初の「FIFA最優秀選手賞」受賞者で、日本女子代表では歴代トップの出場数とゴール数を記録している。



澤2

●後輩にはあれこれ言わず、プレーで教える
2011年7月、女子W杯サッカーで見事優勝に輝いた、なでしこジャパン。
しかし、勝てばW杯、負ければ不出場という、アジア大会の中国戦、海外組と、若手中心の国内組とのコンビネーションが合わず、なでしこは崖っぷちに立たされていた。しかも会場は中国。しかし、そのピンチを救ったのは澤選手
宮間からのFKを倒れるようにバックヘッドで流し込み、最終的に2−0で勝利した。
日頃、意外にも妹キャラで、後輩にあれこれ言葉では言わないタイプ。
その試合を通じて、若手プレイヤーを牽引した。そして、試合後は人目もはばからず泣き「この修羅場を体験し、若手もサッカーは戦いなんだということがわかったと思う。この経験を若手が積めたことが嬉しい。これでW杯が戦える!」
(2011.8.4「アサヒ芸能」)

●帰りたくなるから・・・と電話はやめ、1人で走っていた
1999年、澤は20歳の時に単身渡米し、コロラドで女リーグに入った。代理人や通訳などおらず、契約書も1人で辞書で調べながら書いたという。大変なホームシックにかかり、日本に帰りたいと思ったこともあたっという。お母さんに電話をしたら、きっと泣きだして帰りたいと言ってしまう・・・だから澤選手は絶対に電話をかけなかった。その寂しさを紛らわすために、ずっと1人で走っていたという。
このように、澤選手は、どんな逆境でも乗り越える精神力をアメリカ時代に身につけた。
(2011.8.9「女性自身」)

●“気配りの澤”のエピソード
試合のイメージとは違って、とても気配り上手な女性。記者も参加するような
食事会では、お皿を下げたり、参加者のドリンクを注文したり、自ら率先してやる。それも当たり前のように。また、出張の多いスポーツライターの女性に、「せめてホテルで体を休めてください」と、わざわざリラックスグッズをプレゼントしてくれたことも。(スポーツライター:増島みどり談)
(2011.8.9「女性自身」)

●少年サッカー時代の逸話
地元の名門“府ロク少年サッカーチーム”在籍していた澤選手。当時からガンガン点を獲っており、監督も女の子でありながらエースと認めていた。それを、他のチームの監督に話すと、その監督は、「飛びぬけてうまい男の子はいたけど、女の子は探せなかった」といったという。
(2011.8.9「女性自身」)

●レスリングの吉田選手に勝った!?
澤選手は、女子レスリングの吉田沙保里選手とも親しい。以前、力比べで相撲のように押し合いっこをしたとき、澤選手は、吉田選手を寄り切ったこともあったという。これには吉田選手も苦笑いをしていたとか。
(2011.8.9「女性自身」)

●澤のバスミス・・・「点をとるから許して」
2011年7月13日(日本時間14日)、FIFA女子W杯、準々決勝で開催国ドイツを破り準決勝にコマを進めた日本は、高さで圧倒的に勝るスウェーデンと対戦。
前半9分、澤のパスミスで、スウェーデンのウクビストのにゴールを決められてしまう。
その後、川澄選手によって、前半を1−1で折り返しハーフタイムへ。
その際、澤はチームメイトの前で、失点のミスを謝罪したという。
「ミスした分、点を取るから許して」
その際、チームの中では「諦めるな」と改めて声を出し合い、岩清水選手は、「やってくれると思っていた」と語る。
そして後半開始15分。澤選手は、キーパーが一度はじいたボールを、執念のヘディングで逆転。自らの言葉を現実のものとした。
(BS1「激闘120分〜なでしこジャパン成長の軌跡〜」

●ポスト ルーシー・リュー!?
「とにかく外国人からモテますね。ある企画で世界の美人サッカー選手特集組んだとき、米国人記者の友人から『何でお前の国の“サワ・ホマレ”が入っていないんだ?彼女こそアジアンビューティじゃないか!』とクレームが入りました。何でも『チャーリーズエンジェル』の主演の1人、ルーシー・リューを彷彿とさせ、米国内でも彼女のファンが多いというんです。」(スポーツ記者)
また、2008年の北京五輪では、スタンドで女子サッカーを観戦していたアルゼンチン代表選手たちが、澤にラブコールを送っていたという。澤自身も、「外国人によくモテる」と自分でも話しているという。(テレビ局関係者)
(2011.8.4「アサヒ芸能」)

●あまりの人気ぶりでボディーガードも
W杯で優勝してから、周りの環境も急展開した。ファンサービスの途中に腕を無理矢理引っ張る人が現れたり、澤の自宅まで来てしまうこともあった。サイン待ちのファンが、規制のために張られていたロープやコーンを踏み倒して殺到することもあったという。
それで、澤はオートロックの付いたマンションに引越し、ボディーガード役の付き人に車で送迎してもらうようになった。監督から“変装指令”も出ているのだという。(INAC関係者)
(2011.9.15「週間文春」)

●穂希の由来。あだ名は“ホキちゃん”
「今になってみると、あの子にあった名前だと思います。違う名前だったら、全然違うイメージになっていたでしょうね」
澤穂希の自著『ほまれ〜なでしこジャパン・エースのあゆみ』の中で、母・満壽子(まいこ)さんは、そう語っている。『穂希』という名前の由来は「その年がお米が不作だったから、お米がいっぱい採れますようにっていう願いを込めて、お父さんが考えたもの」で、子供のころは『ホキちゃん』と呼ばれることも多かったそうだ。
(2011.7.17「サッカーキング」)