横浜

5月20日、横浜銀蝿 の嵐がTBS系列で毎週金曜日19時から放送されている「爆報!THEフライデー」に出演。壮絶な転落人生を語った。

1980年にデビューをし、ティーン達から圧倒的な支持を受けた横浜銀蝿。絶頂期にわずか3年で解散をし、メンバーはそれぞれの道を歩んだ。リーダーのドラム担当・嵐は、所属していた事務所を引き継ぎ、メンバーであり弟の翔のマネジメントを中心に経営。

しかし、引き継いだ事務所は1億円の負債を抱えていた。嵐は必死で立て直しを図るが、負債は7億円に膨れ上がる。返済の当てもなく途方に暮れていた時に事件は起きる。
1997年、翔が覚せい剤取締法違反で逮捕されたのだ。嵐は「覚せい剤撲滅を訴えていた弟が手を出すはずがない」と記者会見を開き、誤認逮捕として翔を庇い続けた。翔の尿検査は陰性、薬物の不所持だった為この時は証拠不十分で不起訴となった。

しかし、それから1年半後に覚せい剤所持で翔は二度目の逮捕をされる。今度は尿検査も陽性だった為に1年4ヶ月の実刑を受ける。信じていた翔の裏切りに深く傷つき「なんて馬鹿なことをしたのかな。何でそんな風になったのかな」と嵐は当時を振り返る。

出所した翔を音楽で更生させる為に、必死で営業活動をして、CD発売までこぎ着けたが・・・。CD発売の前日に翔が覚せい剤所持でまたもや逮捕される。三度目の逮捕だ。
悲劇はそれだけでは止まらない。家庭崩壊、離婚、ファンを失う。さらに追い打ちをかける出来事が・・・!

今は、見た目は元気そうだが、実は2004年に脳梗塞で倒れ、大手術をした。なんとか一命はとりとめたが、右半身不随となりドラマーとしては致命的な後遺症が残ったという。
そんな地獄のような転落人生だったが、彼を支えた23歳年下の事務所スタッフの女性と、2012年10月に再婚。
嵐は「自分がピンチだった時にずっと助けてもらっていたから、この子は幸せにしてあげなきゃなと思う」と、笑顔を見せる。波乱万丈を過ごしてきた彼が今、ようやく心の落ち着き所を見つけたようだ。