内村

6月3日、ウッチャンナンチャンの内村光良が出演するNHKのコント番組『LIFE!〜人生に捧げるコント〜』で、伝説のキャラクター“マモー・ミモー”が約25年ぶりに復活する!

マモー・ミモーとは、1990年代にフジテレビで放送されていたお笑い番組『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』で誕生したキャラクターで、南原清隆が扮するキャラクター「ナン魔くん」と壮絶な?戦いを繰り広げた。
さらに、『マモー・ミモー野望のテーマ 〜情熱の嵐〜』というCDも発売され、話題となった。

そこで、ウッチャンこと、内村光良について、ちょっと調べてみた。

内村2

●小学校のときのあだ名は、ウッチャン。
●“神童”と呼ばれていた小学生時代。
小学生の頃は天才児で、“神童”とまで言われ、オール5ばかりだった。そこから伸び悩んで、中学あたりがピークだった。
(2006.1 WOWOW「CINEMA VOICE」)

●野球をあきらめた中学最後の試合。
中学時代、サードのポジションを野球部で守っていたが、中学最後の試合で大暴投をした。ファーストに投げたつもりが、その向こうの川に投げ込んでしまい、ピッチャーがそのエラーで崩れ落ちた。あの一投で野球選手をあきらめた。
(2006.2.2 「キネマ旬報臨増」)

●映画に興味を持ったのは、中学1年の時。
月曜ロードショー、当時の『街の灯』というのがテレビ放映して、それから映画館に通うようになった。母親も一緒に観ていたが、映画であれだけラストで泣いた姿を見られるのが恥ずかしくて、別室に行ってティッシュでわんわん泣いたという思い出がある。インパクトがあった。
(2006.1 WOWOW「CINEMA VOICE」)

●高校時代、学生カバンはパンパン。
教科書や、テストのざら紙でパンパン。ズボンもスリムなものだった。
(TBS「ザ・イロモネア」HP)

●上京。
高校卒業後、映画の専門学校へ入るため上京したら、電車の本数も映画館の数も多く、嬉しさのあまり、情報誌を買って色々な自主上映会に行った。あと同級生の南原、出川、入江とは毎日つるんでいた。
(2006.2.5 「non no」)

●1度だけ解散の危機に直面した。
『お笑いスター誕生!!』で、3回目の挑戦のとき「優勝しなかったら解散しようか」と言ったら、南原も「あ、いいよ」と。そしたら優勝したから、辞めるに辞められなくなって、今に至る。
(2013.2.19 「お笑いナタリー」)

●体力の限界?
「(20代の)デビューした頃から比べるとスタミナがなくなってきましたね。動きの面で限界が生じてきているのを芝居で必死にカバーしている。体力と芝居の割合が7:3だったのが4:6になってきた。いや、まだ5:5くらいにしておこうかな。1:9になるまでやれるならやりたい」と、“体を張る”ことへのこだわりをみせた。
(2012.11.23 「ORICON STYLE」)

●デビュー当時はツッコミだったが、そこからキャラクターに目覚めたのは『夢で逢えたら』。
それまでは『笑いの殿堂』というコント番組もやっていて、そこではリーダー的な立場で仕切っていた。それが『夢で逢えたら』では、ダウダウンの浜ちゃんという何やってもツッコむ人がいたことが大きかった。どんなことをやっても許されるので、自分もボケの味をしめた。あそこは誰かが出たら誰かが下がる、いい押し引きができる座組みだった。
(2008.12 「QuickJapan」)

●『笑う犬』誕生のきっかけ。
『笑う犬の生活』が始まる前の年末、吉田正樹さんと飲んでいて、簡単なセットでいいからコントの番組をやりたいと言った。その頃、『ウリナリ』では後半の5分ぐらい「ランキングキャラクターライブ」というちょっとしたコントを客前でやっていて、だんだんスタジオコントがしたくなってきていた。というのも、『やるならやらねば』や『夢で逢えたら』が一番好きだったから。その話をしたおかげで『笑う犬』が立ち上がった。
(2008.12 「QuickJapan」)

●『笑う犬』誕生の裏に志村けん?
志村けんさんとは大昔に1回だけ飲んで、「コントは続けたほうがいいよ」と言われたことがあり、その言葉も『笑う犬』をやろうという気持ちに繋がっていったが、その後、ある番組で話したら、酔っていて何も覚えていなかった。
(2008.12 「QuickJapan」)

●ダウンタウンとの出会い。
ダウンタウンの方が1,2年デビューが早く、まだ素人だった頃『お笑いスター誕生』で見て、「面白え」と思った記憶がある。初めて『お笑いスタ誕』のオーディションを受けに行った時、ネタ見せでダウンタウンもいて、南原と二人で「ダウンタウンだよ!」と、盛り上がっていた。その時は、デビュー組とオーディション組だったし、話もしていない。
(2005.12 「QuickJapan」)

●コンビ名の改名について。
『気分は上々』(TBS)での改名はちょっと申し訳ないと思っている。自分でやっておいて何だが、自身は改名反対派。
(2005.12 「QuickJapan」)

●鬼監督?
『ボクたちの交換日記』でダブル主演をした伊藤淳と小出恵介に、劇中のコントを熱血指導。コントはプロとしての内村の“こだわり”があり、「鬼監督でした」と2人は口をそろえて暴露していた。
(2013.2.7 「デイリースポーツ」)

●映画『ピーナッツ』について。
『ピーナッツ』は最初から監督映画を作ろうということでスタートしたわけではなく、あくまで『内P』メンバーで何かをやろうという企画が発展していったものだった。野球がテーマになったのは、ふかわ以外みんな野球が好きだったから。収録の合間も大体野球の話をしていた。
(2006.2.2 「キネマ旬報臨増」)