紅白歌合戦

年末の風物詩となっている「NHK紅白歌合戦」。曲順も決まり、25日にはゲスト審査員10人も発表された。
中でも注目は、なんと言ってもフィギュアスケートのGPファイナルで世界最高得点を塗り替え、男子初の3連覇を達成した羽生結弦。
昨年の紅白では、復興支援ソング「花は咲く」を歌った徳永英明とコラボし、徳永のバックに羽生の映像が流れ、メッセージも紹介されたが、今年は会場に初登場する!

今から放送が楽しみで待ちきれないという人もいるのではないだろうか?そんな人のために、「NHK紅白歌合戦」の雑学を紹介!


■年に2回、紅白が開催されたことがある!
第1回(1951年)、第3回(1953年)は1月3日に、第2回は1月2日に開催された。大晦日の恒例行事となったのは第4回(1953年)から。つまり、1953年には年に2回も紅白が行われたのだ。
ちなみに大晦日になったワケは、正月に比べ会場の確保が楽なこと、歌手のスケジュールが空いていたからだとか。


■会場に向かう途中で事故にあって出場を辞退した歌手がいる!
第2回(1952年)、松島詩子は会場に向かう途中、交通事故に巻き込まれ出場が不可能に。慌てたスタッフは自宅で正月のパーティー真っ最中の越路吹雪を引っ張り出し、代役に立てた。
第7回(1956年)では、雪村いづみが急病で欠場し、親友の江利チエミが胸に赤いバラを2本さして歌った。


■井上陽水は「恥ずかしい」、ユーミンは「おせちを作るから」という理由で出場を辞退した!
ヒット曲がありながら辞退する歌手の話題は毎年尽きない。その中でも松たか子が司会を務めた第47回(1996年)を辞退した歌手のその理由は次の通り。
同年大ヒットのPuffy(パフィー)は「テレビ神奈川の仕事」、ユーミンは「おせちを作るから」。そして極めつけは井上陽水の「恥ずかしい」。


■観客が審査に参加できるようになったのは第32回から!
「紅白」の風物詩となっている日本野鳥の会による、観客が掲げた紅白のプレートのカウント。これは第32回(1981年)から登場した。つまり、それ以前には観客による審査という制度はなかったのだ。
ちなみに、カウント作業は日本野鳥の会の専売特許のように思われているが、実際に日本野鳥の会が担当したのは1981年から1985年と1992年の6回のみで、1993年から2002年の10回は麻布大学野鳥研究部が数えていた。


■石原裕次郎は歌手として紅白には出場していない!
『嵐を呼ぶ男』『夜霧よ今夜も有難う』『銀座の恋の物語』など大ヒット曲を持つ今は亡きスター・石原裕次郎。こんなビッグな人にも関わらず、国民的なイベント「紅白」には第8回(1957年)で応援に駆けつけただけだった。
 

■第1回の放送では出場歌手、曲目は直前まで秘密だった!
視聴者の関心を引こうと出場者、曲目は発表せずに放送された第1回(1951年)。トップバッターの菅原都々子が歌い始めると、NHKに応援電話が殺到し回線がパンクした。


■青江三奈の「あぁ〜ん」という吐息は笛の音に変更された!
商品名や放送コードになにかとうるさいNHK。前奏と間奏に「あぁ〜ん」と入る青江三奈の『伊勢佐木町ブルース』は第19回(1960年)の舞台でこの吐息を笛の音に変更させた。
また、第20回(1961年)の奥村チヨの『恋の奴隷』は放送禁止と判断し、『恋泥棒』を歌うことに。ちなみに、山口百恵の『プレーバックpart2』の「真っ赤なポルシェ」をほかのNHK番組では「真っ赤な車」と歌わせたことがあったが、「紅白」ではなぜか“ポルシェ”にOKが出た。


■森口博子のバックダンサーに安室奈美恵が!
第44回(1993年)、熱唱する森口博子の画面には“バックダンサー・スーパーモンキーズ”のテロップ。その中には、見覚えのある初々しい大物歌手が・・・。それは第46回(1995年)に初出場を果たし、その2年後にはトリを務めたアイドル・安室奈美恵。“スーパーモンキーズ”にはMAXの姿もあった。

【出典】週刊女性(2004.01.06/13合併号)


いかがだったでしょうか?あなたは、いくつ知っていましたか?明日も紅白に関するいろいろな雑学を紹介するので、お楽しみに!



(written by けいぼう)