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巷に溢れる疑問をあっさり解決してしまう、敏腕リサーチャーがいる。
そんな敏腕リサーチャーはよく合コンに行くのだが、その合コンの席で披露したときに女子ウケが良かった雑学を紹介しよう!!
皆さんもこの雑学を披露して敏腕リサーチャーのようにモテまくってください!!


敏腕「東京ディズニーランドって東京にないのに“東京”ってつけててずるいよね・・・」
美女「そうだよね。千葉なのにね」
敏腕「でも実は昔、日本橋三越本店の屋上にディズニーランドがあったんだってさ。これは本当に東京ディズニーランドだよね」
美女「えーそうなの!?全然知らなかった!!」
敏腕「1957年4月30日から7月7日までの2か月間だけね。日本橋三越本店の屋上で「こどもの夢の国 楽しいディズニーランド」っていうのが開かれたんだ。「メリーカップ」っていうカップ型遊具は大人気だったみたいだよ」
美女「へぇーそうなんだ。なんか夢がある話だね。でも敏腕君そんな昔のことよく知ってるね」
敏腕「まぁ仕事がらね・・・」
美女「もう素敵すぎー!今日は私のこと好きにしてー!」
・・・となったらしい。


※詳細は以下をご覧ください

【参照】東京トリビア 三越「デパ屋」に… 日本初ディズニーランド

東京ディズニーランド(TDL)の開業より4半世紀も前、日本で初めて「ディズニーランド」を名乗った施設が都内にあった。約2カ月間の期間限定で、戦後復興を果たした子どもたちは、つかの間の「別世界」を味わった。

1957年4月30日から7月7日まで、日本橋三越本店の屋上で開かれた「こどもの夢の国 楽しいディズニーランド」だ。三越伊勢丹ホールディングスが保管する記録写真からは、親子連れであふれる会場のにぎわいが伝わる。「メリーカップ」と呼ばれたカップ型遊具は人垣ができ、ロケットの模型は高さ10メートルはありそう。

本家カリフォルニアの開園から二年後のこと。ディズニーランドの名称を冠した経緯の詳細は不明だ。「イベントの協賛に名を連ねた大映がディズニー映画の国内配給権を持っていたことから実現したようです」と、配給権を引き継いだ角川書店映像管理部は話す。

「ただ、実際に人を乗せて動いたのはメリーカップだけでしょう」と、ホールディングス総務部の森正弘さんは言う。それでも連日盛況で、こどもの日にはメリーカップの運転回数が235回にも達した。

「デパ屋(おく)」が押しも押されもせぬ「子どもの夢の国」だったことを伝えるエピソードだ。それが83年のTDL開業でテーマパーク人気に火が付き、デパ屋から客足を奪っていったのは歴史の皮肉だろうか。
2014.04.23 東京新聞 朝刊


いかがでしたか。彼曰く、やっぱり「ディズニーは強い」とのこと。
次回もお楽しみに!!