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1964年に開催された「東京五輪」を機に誕生した“モノ”は多い。東海道新幹線や東京モノレールの開業、ユニットバス、タクシーの自動ドアやピクトグラムなど…多数の“モノ”が誕生したことはあまりにも有名であろう。

積水化学工業が発売した「ポリペール」もそのひとつだ。
当時の日本は高度経済成長時代。東京都の人口は毎年30万人ずつ増えて、1962年2月に1千万人を越えていた。マンモス都市東京では、家庭ゴミも増大する一方で、従来通りのやり方では、回収処理が追いつかず、街のあちこちにゴミがあふれていたという。

そんな東京に、ゴミ収集革命をもたらしたのが「ポリペール」だったのだ。もちろんこの話自体も比較的知られている話だと思うが、今回はそこのもう少し深ーい情報をお伝えしたい。そう、誰が、どんなきっかけで思いつき、空前の大ヒットにいたったのか…である。

【積水化学工業株式会社HP】


「実業之日本」(1963年6月15日号)という50年以上前の雑誌にその答えがあった。

ポリペールの生みの親は…杉田常務という方だった!!

以下「実業之日本」(1963年6月15日号)より抜粋

話は昭和35年10月にさかのぼる。積水化学の杉田常務は、アメリカにいく途中、ハワイに寄り、そこで、とあるパイナップル畑を視察した。なにか商売のタネになるものはないか・・・そんなことをぼんやり考えている杉田常務の眼にとまったのが、大型のバケツだった。畑の中のゴミをすべて集めるためのものだが、金属製のため、すでに汚れははげしかった。これは夜中に集められて、一括してゴミ処理場にもっていかれるのである。
こんな光景を眼のあたりにしてから、杉田常務はアメリカに着き、そのおみやげにニューヨークで仕入れた大型バケツをもって帰ってきた。この時のバケツは、プラスチック製だった。

これがセキスイの大型ゴミバケツ(高品名ポリペール)、小型バケツ(同ポリパケツ)の誕生する前夜の話である。それからわずか2年半、いまではポリペールもポリバケツも完全にブームにのってしまった。ポリペールのない家庭でも、ポリバケツは、たいてい1個は使っているのである。 現在、ポリペールが月産10万個以上、ボリバケツが月産4、50万個というから大変なものである。しかも、まだ需要におっつかず、この夏までにポリペールを20万個以上、ポリバケツを6、70万個ていどに能力をあげるというほどの強気である。
こう書いてくると、いかにも順調に伸びてきたような錯覚を与えるかもしれないが、ここまでくるには大きな二つの節があった。この節を越えて、はじめてブーム症状を呈してきたのである。

≪よかったタイミング≫
その第一の節とは、いうまでもなく最初の売りこみであった。35年11月に帰ってきた杉田常務は「プラスチックならお手のものだ。それもアメリカ製よりも、きれいで丈夫なものをつくる自信がある」というわけで、さっそく製品第1号をもって、東京都庁にのりこんで来た。
その着眼はこうだった。東京はこれからも人口はふえていくし、あわせて経済活動が活発化していく。この2つは、ゴミを増加させる大きな原因である。
一方、ゴミを集める清掃人夫は不足気味、しかも交通が混乱するにつれて道路まぎわにコンクリート箱はおけなくなってくる。
こうした悪い条件下にあるため、オリンピックをむかえて「町を美しく」というかけ声はひっきりなしにかけられるが、一向にきき目はないのである。そこへポリペールの売り込みに行ったのだから、まったくタイミングはよかった。まず清掃夫がよろこんだ。これまでのようにゴミ箱を開いて棒で引っ張り出すわずらわしさはなくなって、ポリペールごと清掃車まで運んで、あけてくればいいのである。第一、清潔である。

それに都民も歓迎してくれた。密封式になっているから、汚物がはみ出さず、ハエなどのたかることがほとんどなくなった。それにこれまでの殺風景な色にかわって、清潔感にあふれている点も、大いに歓迎されたようだ。

こうして東京都のバックアッブもあって、一部地域にはかなり警及するようになり、大阪府でも、集中的にPRした守口市あたりは90%以上の普及率をみせた。
つまり、第一の節は売り込みにタイミングを得たことだった。以後一応、順調に伸びてきたのである。

≪大々的な普及運動≫
だが、それでも全国的にみれば、普及率はまだまだひくかった。都市部といっても、普及していない地域の方がおおいくらいである。だが、それは、もはや売り込みの段階ではない。普及させるべくPRする段階に来ていたのである。
たまたま昨年の3月が創立15周年にあたっていた。積水化学のマークはSSSである。意味するところは、サービス、スピード、スーパーなのだそうだが、とくにサービスに重点をおいて、創立15周年記念の仕事としてポリペールの普及キャンペーンをはることにした。これが第二の節である。

その具体的な方法として、「町を清潔にする運動」推進本部を会社内にもうけ、「オリンピックはきれいな日本で」と大々的に新聞紙上で宣伝をはじめた。
また、同社発行のセキスイプラスチックタイムスでは、ポリペールの特色と使用法を要領よくまとめた緊急特集号を出し、 全国の関係筋に流した。
これらに要した費用はかなり膨大なものがあるが、これでようやくムードづくりができかけてきたのである。効果はテキ面で、昨年夏ころから早くも急カーブに販売量がまし、さいきんでは前述のように、ポリペールだけで10万個を突破、金額にして1億円をオーバーしてきたのである。
こうしてみると、ポリペールは単にその機能が環境衛生上ピッタリしていたということとあいまってその売り出しの演出が大きく効を奏しているとみていい。

≪技術的な強味≫
このポリペールにせよ、ポリバケツにせよ、特許というものはない。プラスチック・レジン(原料となる粉)を買ってきて、成型機にかければ、誰でも一応つくれるのである。またかりに特許があったとしても、デザインをわずかに変えれば、違反にはならないのだから、無きにひとしいのである。
だから、中小企業が小規模につくって、価格競争を挑んでくる場合もあるが、これまでの場合、たいてい自減しているという。それは一見やさしそうにみえるデザインでも、その耐熱性、耐衝撃性、耐腐熱性といった点がきわめてデリケートで、 一朝一タにしてはモノにならないからだという

この辺が積水化学の技術的な強味である。この強味にあわせて演出効果が満点だったことから、この切り札商品が生まれたといっていいだろう。現在、予想される普及園数は2000万個、一家に1個というわけだが、環境衛生の思想はさらに普及する傾向にあること、オリンピックをむかえて、なにがなんでも町 を清潔にしなければならないこと、清掃業者の合理化がせまられていることなどの好材料にささえられて、その辺まで普及していく公算はかなり大きい。


この杉田常務の話は実はあまり知られていない。
杉田常務がハワイのパイナップル畑を視察しなければポリペールの誕生も、前回の東京五輪の大成功もなかったかもしれないのだ。