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世界有数のゲイタウン、新宿2丁目。この辺りはもともと風俗街で、1958年の売春防止法以降、空家になった所にゲイバーが移転してきて、1960年代にはゲイタウンとしての歴史がスタートしたそう。以前はおよそ100m四方の範囲に400軒ほどのゲイバーやゲイ関連のお店などがあったそうだが、不況の影響もあり、現在は300軒ほどになったという。

新宿2丁目の開拓者!!『蘭屋』の前田光安さん

この新宿2丁目の開拓者として知られているのが『蘭屋』というお店を経営していた前田光安という人物である。前田さんは、昭和26年(1951年)、それまでの純喫茶をゲイバーに変えて以来、戦後のこの世界の変遷をつぶさに見てきた。

昭和29年(1954)には新宿に進出、昭和33年(1958)には新宿二丁目に店を構えた。これが新宿二丁目にゲイバーができた最初であり、その後も仲間に声をかけて、この土地に店を開くように勧めた。

つまりゲイのメッカとしての新宿二丁目の開拓者であり、新宿のゲイの歴史と共に歩んできた人といっても過言ではないのだ。



1997年2月に亡くなられた前田さん(享年73歳)。
その翌月の「週刊新潮」(1997.03.13)では、前田さんの偉大な功績を称えた記事が掲載された。

死を惜しむ、周囲の方の声・・・
●「2丁目のドンでしたね。みんながこの街で商売をやってこれたのも、あの人のおかげなのですよ」

●「ホント、この街にとっては銅像を建ててもいいくらいの功労者なんですよ」
(老舗ゲイバーのマスター)

●「男を覚えたのは軍隊時代だといってました。若い男が好きでしたね」

●「終戦直後は東京の新橋で甘味店を営んでおり、その後昭和26年に西銀座に進出。喫茶店に鞍替えしたそうです。喫茶店といっても相当に怪しげなお店で、昼は普通の営業をしていたのですが、夜になるとその道の同好者が集まる店でした。当時はホモとかゲイとは呼ばないで、“お仲間さん”と呼んでいました。作家の三島由紀夫や有名な歌舞伎俳優などがやってきたそうです」
(古くからの友人)

●「昭和20年代のゲイのメッカは銀座周辺で、有名な『やなぎ』もあったが、彼は、これからは新宿の時代だと移って行きました」

●「彼の店には、三島由紀夫をはじめ、アラン・ドロン、エヴァ・ガードナーといった著名人、ボリショイ・バレエやサーカスの団員の中のゲイボーイたちが来日するたびに店を訪れたそうです。
『蘭屋(前田さんの店)』の成功を見た他の街のゲイバー経営者やこれから店を持とうというゲイボーイ達が続々と前田さんを頼って集まってきたといいます。
店をやりたいと言ってきた人には不動産屋を紹介したり、自ら店舗を確保して、十軒以上も人に貸したりしていました」
(同業者のひとり)

●「とにかく面倒見のいい人でしてね、昭和45年頃にはゲイバーの連中を集めて『睦友会』という親睦会を作って理事長になりました。ボウリング大会をしたり、ゲイバーの街の宣伝をしようということで何度か近くの新宿厚生年金ホールを借りて、素人演芸大会などを開催しました。彼が台本を書き、役者として出演もしましたよ」

●「180センチあまりの大男で普段はネクタイにスーツ姿。どこから見ても真面目そうな勤め人にしか見えなかったが、舞台ではセーラー服の女子高生をやったり、お姫様をやったりしたもんだから大ウケだったんですよ」
(後輩のひとり)

●「全国には30万人くらいはホモがいるはずだから、その代表として国会に送り込もうという計画もありました。本人もちょっとその気になってたのですがねぇ・・・でもちゃんと票の計算をしたらどうやっても落選なんで、結局中止になってしまいました・・・」
(新宿2丁目の住人のひとり)

「週刊新潮」(1997.03.13)