織田信長、豊臣秀吉、徳川家康をはじめとしたメジャーな武将は映画・ドラマにもなっており、様々な逸話が知られているが、教科書に載っていないようなマイナーな人物にも面白いエピソードを持つ人物がいる。
今回紹介するのは、摂津淡河(おうご)城の城主を務めた淡河定範(おうがさだのり)氏だ。
1579年、豊臣秀吉は播磨三木城を本拠とする別所氏を討とうとしており、戦いを有利に進めるために周辺の城を攻める作戦を取っていた。
そのターゲットの一つになった摂津淡河城。秀吉は弟の秀長に命じ500名以上の騎馬隊で総攻撃をしかけようとした。しかも、その時場内には一族郎党50〜60名、足軽や人夫が30名ほどしかおらず戦闘準備はできていなかった。
しかし、淡河は意外な方法で豊臣軍を返り討ちにすることに成功した。
オス馬に色仕掛けを仕掛けた!!
足軽はなんとか50頭ほどのメス馬をかき集め、豊臣軍の騎馬に向けて解き放った。
当時、騎馬に使われたのはオス馬で、去勢の風習もなかった。
豊臣軍の騎馬は目の前に現れたメス馬を見るとみな興奮。我先にとメス馬めがけて突進し、メス馬の取り合いで喧嘩が始まり戦闘どころではなくなった。
そこに、淡河城から足軽なども飛び出てきたために、秀長も分が悪いと撤退することとなったという。
【参考】
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