とにかくどの会議でも眦萓宏さんの “変態紳士”が話題です。
筆者も購入して読んだのですが…めちゃくちゃ面白い!
マニアックな趣味嗜好のエピソードが多いですが、食、健康、仕事などに対する様々な考え方やこだわりなどについても披露されており、これがとっても勉強になり、読後はすっかり眦茲気鵑離侫.鵑砲覆辰討りました。
そこで、高嶋さんの様々なインタビュー記事やご出演された番組などを徹底的にリサーチし、“変態紳士”では紹介されていないプロフィール情報を10個ピックアップしてみました!
●眦萓宏さん情報1
身長185cmという日本人離れした体格はスポーツで鍛えた成果だという。
「実は三歳からずっと水泳をやっていて、ジュニアオリンピックに出た事もあります。泳ぎを買われて、高校時代は水泳部の試合にはいつも助っ人として駆り出されていました。
その時に鍛えておいたおかげで、今、どんなにきついスケジュールでも絶対に根を上げないし、疲れたと感じた事もありません。」と語っている。
また、大学時代は、毎日ゴルフ部の練習で何時間も走らされた後、さらにスポーツジムに通っていたという。
「『こうすれば女の子にモテるようになる』と自分を励ましながら頑張るわけです。もっとも、熱心になりすぎてデートの時までジムに行って嫌がられましたけど。その女性とは『いつもジムばっかり』と文句を言われてそれが原因で別れました。」
参考:「With」(1989.03)
●眦萓宏さん情報2
大学を卒業したらアメリカに留学をし、国際弁護士の資格を取るつもりだったという。しかし3年生の時に映画に出てみないかという話が来たという。
「僕は俳優になろうなんて考えてなかったし、大学が法学部でしたから、卒業したらアメリカに留学して、国際弁護士になる資格を取ろうと思ってて。
でも両親は『せっかくのチャンスなんだからやればいいじゃないか』って。」
参考:「SAY」(1989.06)
●眦萓宏さん情報3
柿ピーにハマっていた時期があるという。
「俺、柿ピーが好きなんですよ。あれを食べてると父親に『頼むからそんな乾き物食べないでくれ』と。とにかく乾き物が好きで。
柿ピーは一時期ずっと持ち歩いていたぐらいで。
蕎麦屋でカレーうどんとか食べながら横に隠しておいた柿ピーを取り出してね。突然、禁断症状になるんですよ。」と語っている。
参考:「週刊読売」(1994.07.17)
●眦萓宏さん情報4
京都での撮影時、芸者を連れてねり歩いた事があり、東映のプロデューサーにポスト松方弘樹と言われた事があるという。
参考:「週刊大衆」(1999.03.01)
●眦萓宏さん情報5
小学生の頃から雑誌『ムー』を読んでいたという。
「実は母が僕を出産するときに、医師の背後に黒服で身を固めた人達が祝福するかのようにのぞき込んでいた、というんです。
『絶対に幻じゃない』と断言するんですよ。
事あるごとにその話をするので、そういう世界もあるのかなと思うようになっていました。
そして、いつのまにか世界の七不思議とか、心霊現象に興味を持ってムーを読むようになったんです。」と語る。
また、もともと霊感があると言い、霊体験も数多い。
その一つに美輪明宏の舞台『黒蜥蜴』の舞台袖で、脚本家の三島由紀夫を見たという。
「おしゃれな白と水色の軍服みたいなものを着て、スッと立っていらっしゃいました。」
参考:「ムー」(2006.01)
●眦萓宏さん情報6
フリオ・イグレシアスからもらった靴で舞台に立つのが夢だという。
「フリオ・イグレシアスさんと僕の両親はある時食事をした事がキッカケで親交が始まり、彼のスペインとドミニカにある邸宅のどちらかに毎年招待されて遊びに行っていたんです。
そのゴージャスな生活ぶりを何度も聞かされましたが、当時は僕はバリバリのロック少年。彼の歌にはピンと来なかったし興味もなかったんです。
それが後年ミュージカルに出演した時、改めてフリオさんの歌を聴くと、水面に波紋が伝わるような、繊細で微妙な声帯の使い方に、体中に電流が走り、一気に尊敬する歌手となりました。
去年、そのフリオさんからドミニカのご自宅にお招きを受けたんです。
フリオさんの豪華な生活ぶりは、両親に聞いた以上。その滞在中にいただいたのが、フリオさんのステージ用のこの靴です。この靴を手にした時、僕は目から鱗が落ちました。
バレエシューズのように軽くて足裏にピタッとフィットする。
歌を学んで知ったんですが、足の裏の微妙な動きで望む声を出す事が出来るんです。
つまりこの靴は見た目のステージの靴ではなく、歌う為の靴だった。
幸いサイズは僕の足にピッタリ。いつか、フリオさんの様に、ホンモノの男の歌を歌える時がきたら、この靴を履いてステージに立つのが僕の夢ですね。」
参考:「PRESIDENT」(2006.09.18)
●眦萓宏さん情報7
学生時代、一時は糖尿病を疑われる程太っていたという。
「焼肉はまずタン塩15人前食べてから。焼き鳥だと軽く50本。」
相撲部屋の親方からスカウトされた事もあったという。
見た目が原因でいじめにもあっていたため、高2で一念発起。サウナスーツを着て走り、夜は野菜だけを食べて23キロのダイエットに成功した。
参考:「週刊朝日」(2008.04.25)
●眦萓宏さん情報8
“スターレス高嶋”と名乗る程、キング・クリムゾンフリークだという。
「小学校6年生の時、パンクロックが日本上陸したんですね。
1977年にセックス・ピストルズが登場した時に、純粋な疾走感のあるロックンロールに感激してパンクにのめり込んでいったんです。
たまたま東京ニューウェイヴのボルシーっていうグループの石田さんの弟が親友だったもので、ライブに行ったり中学で曲作りとか始めたんですが、そのお兄さんが『こんな凄いバンドもあるんだよ』と持ってきたのがキングクリムゾンの『クリムゾンキングの宮殿』と『レッド』とピンクフロイドの『アニマルズ』でこれはスゴイから聴けって。最初は『レッド』にやられたんですよ。
でも今改めて聴くと『クリムゾンキングの宮殿』の完成度はスゴイ。
『I talk to the wind』のフルートが出て来て2人がハモるすばらしさ。
今でも夢なのがあの曲をライブでちゃんとフルートを入れて、うちの奥さんとハモリでやるという壮大な計画があるんですよ(笑)。
クリムゾンキングの宮殿で好きなのは『21世紀の精神異常者』かな。
変拍子や半音階の面白さですね。だからクリムゾンを知ってからは普通の曲はつまらなくて聴いていられないんですよ。グラミー賞ノミネートの曲なんかも聴くんですけど、途中で飽きてきちゃうんです。だから休みの日に車で旅行に行くときも妻に言われますもの、『何かもっとノリの良いのはないの?』って。箱根なんか行く時はクリムゾンの4枚組のライブとかずーっとかけてます。
僕はベースを弾きますが、父が病気にかかってしまった時に、リハビリライブをやろうという事になりまして、父と弟と僕の3つのパートに分かれてクリムゾンをやったんです。」
中野サンプラザでの来日コンサート時には、コンサート後のシークレットパーティに参加しメンバーにサインをもらったといい、それは眦莢箸硫畔になっているという。
参考:「大人のロック!」(2009.04)
●眦萓宏さん情報9
スターレス高嶋が選ぶ“BEST LIVE IN JAPAN”について。
「1位は生まれて初めて行ったロックコンサートでもある1978年3月、日本武道館のキッス。
父に頼み込んで連れていってもらいました。
その時の感想が『ロックコンサートってこんなに熱いものなんだ』。
火柱が凄いんですよ。ちなみに父は僕の隣の席で耳栓して座ってましたけど。
2位はキングクリムゾンでしょう。初来日の1981年、浅草国際劇場に3日連続で行きました。
3位はポリスの初来日、1980年の渋谷公会堂。その他にも感動したコンサートは数えきれない程ありますよ。」
参考:「FLASH」(2008.11.11)
●眦萓宏さん情報10
過去最高にお酒を飲んだのはどんな時という質問に、みのもんたと飲んだ時と答えている。
「みのもんたさんと音楽番組の司会をやってた時に最高に飲んだ。
みのさんは飲むんじゃなくて飲ませるんですよ。
その時、寿司屋で4号徳利で14本。流石に翌日震えてましたけどね。
死ぬかなと思いました。
ハメを外して飲む時はとことん行かなきゃ気が済まないんです。」
参考:「週刊大衆」(1999.03.01)
以上、眦萓宏さん情報10選でした。
数多くのインタビュー記事などに触れ、眦萓宏さんの事を調べれば調べるほど、魅力の奥底が全く見えず…“変態紳士”に関しては余裕で一冊作っているのではないかと感じました。
つまり、料理で例えるならコース料理の前菜といいますか、これから何冊も続編が出せそうな程、エピソードや知識が溢れている方だったからです。
あ〜…変態紳士の第2弾を早く読みたい!!
もし続編が出るなら表紙の写真のアングルが2冊目、3冊目と段々と下がっていって欲しいですね。
並べたら一つの絵になるドラゴンボールの単行本の背表紙の様に、本の表紙を縦に並べて行くと、眦茲気鵑了僂少しずつ露わになっていき、最後、足にもの凄い事をされてる…みたいなデザインを希望します!(笑)
いつかご本人様にインタビューさせて頂ける機会があれば、いち音楽ファンとしてスターレス眦茲気鵑里話を伺ってみたいなと思います。
Nicheee!は、眦萓宏さんを応援しています!!!
(Written by マス・D・タカシ)