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大ヒット公開中の映画『ボヘミアン・ラプソディ』。
QUEENがきっかけで洋楽を聴くようになった筆者としては、絶対に見なければならない映画だったため、公開直後すぐに観に行ったのですが…
冒頭のFOXファンファーレから鳥肌と涙がゾワゾワと…。
映画的に盛り上げるための創作エピソードも入っている様ですが、彼らの楽曲を生かし切った見事な構成と演出が素晴らしくとても感動的な作品でした。

この映画、制作中には様々なトラブルもあったようで、完成までに8年の月日を費やしたそうなのですが、だからこその執念と愛も沢山感じました。

LIVE AIDでフレディがビートたけし風にひょうきんに入ってくる所が好きな筆者としては、カメラワーク的な問題でそこだけちょっと物足りませんでしたが、映画を観る事でQUEENが生きた時代の空気を感じる事が出来、また、QUEENの生ライブを体験できたような気持ちにもなり、ファンになった時がすでにフレディの死後だった筆者的にはもの凄く有難い映画でした。
サントラも購入しましたし、しばらくQUEENヘビロテっす!!!


さて、映画のパワーに影響され、改めてQUEEN熱が高まってしまったため、ファンとしてもリサーチャーとしてもQUEENの事が知りたくなり、色々な記事等の情報を読み漁っていたのですが、11月24日がフレディの命日という事もあり、「そういえば亡くなった時やその直後はどんな報道のされ方だったんだろう」と気になりました。
そこで、映画の余韻に浸りながら、当時の記事をいくつかピックアップしてみました。
あくまで記事の引用という形になりますが、これらの情報から当時の空気や雰囲気などを感じていただけたらと思います。




■英国ロックバンド「クイーン」のF・マーキュリー氏エイズで死去
(1991年11月26日「日刊スポーツ」より)

●英国の人気ロックバンド「クイーン」のボーカル、フレディ・マーキュリーさんが24日午後7時ごろ(日本時間25日未明)、エイズによる肺炎のためロンドン市内の自宅で死去した。45歳だった。
前日の23日に事務所を通じてエイズ宣言をしたばかりで、衝撃は連日にわたって世界を駆け巡った。
ロンドン市内のケジントンにあるマーキュリーさんの自宅から、マーキュリーさんの遺体はその中を20人の警官に守られて病院へ運ばれた。

●英紙「エキスプレス」によれば、エイズ宣言をしたのはマーキュリーさんが、自分の近い死を覚悟していたためだという。
自宅には両親が駆けつけ、愛人のメリー・オースティンさん(35)と、その子供でマーキュリーさんとは血がつながらない男の子(4)に見守られながら死んだ。

●結成20周年を迎えた「クイーン」は1億ポンド(約240億円)の売り上げがあり、約2500万ポンド(約60億円)がマーキュリーさんの遺産になるという。当初、そのすべてをオースティンさんと子供に残すはずだったが、2年前にエイズが発覚してからは遺書を書き換え、エイズ基金にその大半が寄付されるようだ。

●マーキュリーさんをよく知る友人によれば、若いころは派手好きで奇行の目立った彼も、エイズと知ってからは修行僧のように厳格な生活を送っていた。
ラストアルバムとなった「イニュエンドウ」の中の一曲は死への恐怖を克服した歌が入っている。また、英紙「ミラー」によれば、死の数週間前に遺言ビデオを製作しており、エイズへの恐怖を語っているという。




■日本女性がスターに育てたフレディ・マーキュリー
(1991年12月10日「AERA」より)

●クイーンほど日本女性が思い描く「ロックスター」の姿を具現したバンドはなかった。
「少女まんがから抜け出してきたようなロックの貴公子」
クイーンは毎号のようにロック雑誌のグラビアを飾り、ファンが描いた彼らのイラストが紙面にあふれていた。

●クイーンが73年にデビューしたときは、アメリカはおろか、地元イギリスでもほとんど相手にされなかった。
そもそも「クイーン」といえば、スラングで女装のゲイのこと。
そこへフリル付きの派手な衣装を着たマーキュリーが登場、クネクネと体をくねらせながら歌う。オペラに似た大仰な曲と、ナルシズムに満ちた歌詞。あまりにアクが強すぎた。
しかし、そんなことは日本の女性ファンには関係なかった。とにかく美しかったのである。男ながら女の感性を持つマーキュリーのセンスは、一番に女性の心をとらえた。
イギリスでは2000人程度の小さなホールで演奏していたのに、日本での初コンサートが、いきなり「武道館」。
「東洋で大人気のバンド」のキャッチフレーズで、人気が「逆輸出」された。イギリス、アメリカの順で人気が広がり、たちまちスターへの階段を駆け上がった。

●後にクイーンは「手をとりあって」という日本語の曲を吹き込み、日本人に感謝を表している。
一方で、彼らの成功は、日本の音楽マーケットの大きさをレコード会社に認識させる効果もあった。




■クイーン フレディさんのエイズ死から異常人気に
(1992年1月18日「日刊スポーツ」より)

●フレディの死後、「クイーン」のCDアルバムが、日本のレコード店で異常人気を呼んでいる。発売元の東芝EMIでは在庫切れの状態。
発売元の東芝EMIによると、同グループのCDアルバムはベスト盤、ライブ盤各2枚を含め18枚あるが、「グレイテスト・ヒットVol1」(81年)「同Vol2」(90年)「オペラ座の夜」(76年)「クイーン2」(74年)などが特に人気があるが、多い日には全国のレコード店から一日3000枚の追加注文が東芝に寄せられるという。

●東芝EMIの担当ディレクター森俊一郎氏は「すでにトータルで8万枚以上が売れている。こんな状況は、ビートルズのジョン・レノンが暗殺された直後しかない。フレディさんの死に方がエイズだったことが衝撃となって、購買につながっていると思います」と言う。コーナーを設けている東京・銀座の山野楽器でも「30代後半の全盛時代を共に生きた人だけでなく、クイーンを知らない世代も買い求めています」とクイーンブームの広がりを実感している。

●クイーンブームは世界的で、3月中旬に英ウェンブリー・アリーナで追悼公演が行われることになった。同アリーナは、86年7月にクイーンが最後のライブコンサートを行った場所で、今回、フレディさんを除く3人が8年ぶりにそろってステージに立ち、仲間の死を悼む。
1971年に結成。73年に「戦慄の王女」でデビューしたクイーンは、70年代にローリング・ストーンズ、レッド・ツェッペリンらと並ぶ英国屈指のロックグループとなった。フレディさんが美術大学卒、メイが天文学、テイラーが歯科大卒、ディーコンが電子工学を学ぶなどエリートぞろいだったことが、アウトロー中心の当時のロック界に新風となった。活動は20年に及んだが、91年1月に発表した18枚目の「イニュエンドウ」が最後のアルバムとなった。

●オペラボイスと呼ばれたフレディさんの声が世界の女性の心をつかみ、75年に初来日した時は、ビートルズの来日と匹敵する大騒動となった。「女王陛下のようになりたい」と命名した「クイーン」は、俗語で同性愛者の女役の意味で、フレディさんがあえてそれを隠さなかったことが、同性愛者の権利獲得運動の一翼を担ったといわれている。



以上、当時の報道情報でした。

聴けば聴く程に新たな魅力を感じさせ、どんどん好きにならざるを得ないバンド・QUEEN。
映画をきっかけに彼らの魅力や楽曲の素晴らしさがさらに世界に拡散すると良いなぁと、いちファンとしては願います。

今後もNicheee!では、彼らの魅力についてリサーチしていきますよ!


(Written by マス・D・タカシ)