木地師

皆さんは「ロクロ」と聞くと陶芸のロクロのことを連想することだろう…。しかし、日本では陶芸のロクロよりも木工ロクロというもののほうが遥かに長い歴史を誇っているというということを知っているだろうか。そして、その木工ロクロを行う職人のことを「木地師(きじし)」と呼ぶ。

木工ロクロ(木工旋盤)は、高速で回転させた木材に刃物をあてて削り作品を作る木工のジャンルである。海外でも「ウッドターニング」と呼ばれ、近年注目されつつある。

なんとこの木工ロクロであるが、日本での歴史を辿ると、今から約1200年前に遡るのだというから驚きである。

【惟喬親王(これたかしんのう)が考えたとされる「木工ロクロ」】

西暦860年、文徳天皇の皇子である惟喬親王(これたかしんのう)が、近江の国の山里でドングリの実の形から思い起こし、作り始めたのが木工ロクロの起源であると伝えられている。動力としても軸にひもをかけて回転を発生させたり、水車等の動力を使用したりしていたが、現在では電気の力でモーターをまわし、ロクロの作業を行っている。

【木地師の末裔は「大蔵」「小椋」という名字らしい】

惟喬親王(これたかしんのう)を祖とする木地師には「大蔵」、「小椋」という姓が多いが、これは惟喬親王(これたかしんのう)の家臣であった大蔵卿、小椋卿に由来すると伝えられている。木地師たちは良質な材木を求めて全国各地に広がりその足跡を残している。

それらの苗字の人は木地師の末裔といわれ、木地物の製造に携わる人には非常に多い苗字なようだ…。

【今も残る木地氏発祥の地!滋賀県東近江市の小椋谷】

小椋谷とは、このあたりの「君ヶ畑・蛭谷・箕川・政所・黄和田・九居瀬」の六ヶ村のことをいい、この中でも「君ヶ畑・蛭谷」の集落が「木地師の文化」を色濃く残している。君ヶ畑には、惟喬親王を祀る「眈掌羹蝓覆燭まつごしょ)金龍寺(きんりゅうじ)」と、「大皇器地祖神社(おおきみきじそじんじゃ)」があり、蛭谷町には、「筒井公文所(つついくもんじょ)」と「惟喬親王の御陵(ごりょう)」、「木地師資料館」などがあり、当時から「木地師集団の支配所」として、全国の木地師たちの保護・統括をしていたという。

滋賀県の指定文化財である「氏子駆帳・氏子狩帳」は、自らの支配所に属する木地師を管理するために、長時間かけて全国の木地師を訪ね歩きながら製作した、「人別帳」の記録であり、全国の宗旨(しゅうし)人別帳に記載されていないことも多かった木地師の身元を改める目的で作成されたもので、現在でも、子孫の方が祖先の記録を参照しに訪れることもある、貴重な文化財でもあるそうだ…。


仕事柄、いろんな仕事を知っている私であるが…正直この年になるまで「木地師」という仕事を存じ上げなかった。いやー、日本って本当に面白い!!
今度大蔵さんまたは小椋さんという名字の方に会った際には、皆さんも是非「木地師」に関わりがある方なのか聞いてみてほしい。