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画像:「三和酒類株式会社」公式HPより

2016年10月、タレント・映画監督の北野武さんがフランス政府からレジオン・ドヌール勲章の「オフィシエ」を授与され話題を集めた。
叙勲を行った元フランス文化大臣のジャック・ラング氏は「ビートたけしとも呼ばれている北野の大胆で独創的な創造性により生み出された作品が、芸術ジャンルの限界をやすやすと乗り越え、演劇・テレビ・映画・文学などの約束事を変革し、現代のアートシーンに影響を与えてきた」と功績を評価。日本人として非常に誇れる出来事であった。

実はこの「レジオン・ドヌール勲章」…あのナポレオン・ボナパルトによって1802年に創設されたもので、現在もフランスの最高勲章とされている。シュヴァリエ(5等)・オフィシエ(4等)・コマンドゥール(3等)の等級とその上にグラントフィシエ(2等)・グランクロワ(1等)が存在し、仏大統領の決定により授与されるという。日本の文化人ではこれまで小説家の大江健三郎氏(コマンドゥール、2002年)、建築家の安藤忠雄氏(シュヴァリエ、2005年)らが受章しているという。さすがは世界の北野である。

しかしちょっと待ってほしい…。
武さんも当然スゴイのだが、そんな勲章を創設したナポレオンってやっぱスゴくない…!?

しかもナポレオンが生み出したとされているものはこれだけではない。
稀代の英雄ナポレオンは、現代の世の中では当たり前になっている様々なものを生み出していたのだ!!(※真偽のほどがはっきりしないもの、諸説あるものももちろん含まれます)

今回はそんな“英雄ナポレオンが築き上げた”…(?)とされているものを集めてみた。


兵士達の士気の維持、高揚のために缶詰を発明させた!(信憑性高め!)

缶詰の誕生はフランス革命とナポレオンと深く係わりがあるといわれている。外国遠征で東奔西走し戦闘に明け暮れるナポレオンにとって、栄養豊富で新鮮・美味の兵食を大量に確保することが兵士達の士気の維持、高揚に不可欠と考え、総裁政府に軍用食糧貯蔵法の研究を要求。そして、1804年、ニコラ・アペールによって、ガラスびんの中に食物を入れ密封し加熱殺菌して保存する新食糧貯蔵法が発明されたのだ。
【出典】
日本製缶協会HP


戦争にも、教育にも必要不可欠と、近代的な鉛筆を誕生させた!(信憑性高め!)

実は、現在の鉛筆芯製法の基礎を作ったのもナポレオン。
18世紀末、イギリスおよびその連合軍との戦争で鉛筆の輸入が途絶え、その結果、戦争も、教育も、日々の生活にも鉛筆の重要性が認識された。ナポレオンは当時39歳であった画家で、気球の研究もしていた科学者のニコラ・ジャック・コンテに研究を命じ、1794年頃完成させ1795年に特許を取得している。
コンテの鉛筆芯は、単に焼きかためる工夫をしただけでなく、黒鉛と粘土の混合割合を変えることによって、芯の濃度が変化することも発見。後にこの製法は、各国にもたらされ、ここに初めて近代的な鉛筆工業が誕生することになったのだ。
【出典】
トンボ鉛筆HP(えんぴつの歴史/トンボKIDS)


道路の右側通行を世界的に浸透させた!?(真偽のほどは定かではないですが…1)

【参照記事】京都新聞 朝刊(2009.02.15)
はい応答室 Q&A 歩行者は右側?左側?道交法では右側通行 

Q:
子どものころ「車は左、人は右」と教えられたことがあり、いつも右側通行で歩いています。ところが最近は、多くの人が好きなところを歩いています。車は左側通行と決まっていますが、歩行者には決まりはないのでしょうか。右側通行の歴史も教えてください。(京都府内の男性)

A:
道路交通法第一〇条によると、歩行者は、歩道などと車道の区別のない道路では、道路の右側帯によって通行しなければならないと、定められています。日本交通協会によると、これは一九四九(昭和二十四)年、交通安全上、合理的な対面通行を実施するようにという連合国軍総司令部(GHQ)の指導によって、道路交通取締法が改正されたのが始まりです。

日本では、警視庁令によって、一九〇〇(明治三十三)年、道路取締規則が制定され、牛馬車の左側通行制度が採用され、その翌年に警視庁告諭で歩行者の左側通行も記されました。大正時代には道路取締令で車も歩行者も左側通行と定められ、戦後まで半世紀近く、歩行者の左側通行が続きました。

戦後、GHQから「車は右側、歩行者は左側の対面通行」が要請されましたが、多額の費用がかかることから、車の左側通行はそのままで、歩行者の対面(右側)通行が実施されました。それまで習慣となっていた左側通行からの変更を、人々に定着させるため「車は左、人は右」という標語もできました。

明治時代になぜ左側通行が採用されたのかについては、はっきりとしたことは分かりません。交通科学博物館(大阪市)によると、イギリスの影響を受けたという説や、武士が左腰に刀を差していたので、刀のさやが触れ合わないように左側通行だったという説があり、詳しいことは分かっていません。心臓を守るために人間は基本的には左側通行で、ナポレオンが常識を覆す右側からの攻撃で戦績を収め、右側通行が生まれたという説もあります。


鼻水を拭うのを防止するためにスーツやジャケットの袖口にボタンをつけた!?(真偽のほどは定かではないですが…2)

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スーツやジャケットの袖口についている飾りボタンの由来もナポレオンのロシア遠征に由来するという。
悪路に悩まされ、モスクワに着いたかと思えばもぬけの殻…。長期戦で兵たちの士気は低下の一途をたどり、やがて厳しい冬が来た。ナポレオンは兵たちの士気を、鼓舞するために拳を天に突き上げ「勝利は必ずや我が手に」と叫んだが誰も応じるものがいない。見ると兵たちは寒さに震え、軍服の袖口でしきりに鼻水を拭いているのだった。怒ったナポレオンは、「あの者たちが鼻水を拭けないように、袖口にボタンを付けてしまえ」と腹心に命じたそうだ。
【出典】
オーダースーツのビッグヴィジョン(ナポレオンと袖ボタン-オーダーシャツ)など


眉唾ものも当然あるが、そういうのも浪漫(ロマン)があっていいんじゃないかなって個人的には思います。

下町のナポレオンでも飲みながら、ナポレオンの偉大な功績を皆で称えようではないか。


(Written by ちゃかし)