ナンバーガール画像

2019年2月15日、2002年に解散したロックバンド「ナンバーガール」が「RISING SUN ROCK FESTIVAL」で17年ぶりに再結成されることが発表された。

このニュースを理解するのに数秒かかった。なぜならボーカルの向井さんとギターの田渕さんが5年ほど前に行った雑誌での対談(ナンバーガールのアルバムのリマスター盤が発売された際の企画)を読む限り、再結成は絶対ないだろうなと思っていたからだ。
再結成の意味を理解してから、その日の俺のテンションはどこかおかしかったと思う。何しろナンバーガールは俺が人生で一番聴いているバンドだからだ。

それにしても17年の時は長い。俺は今年で33歳になるのだが17年前はまだ高校1年生だったのだ。中学時代も含めてナンバーガールばかり聴いていた。当時のことを一寸思い出したりしてみたい。

正確な時期は覚えていないが、小学6年か中学校に入ったばかりの頃、俺はプロレスに嵌まり1時間放送時代の「ワールドプロレスリング」を視聴するようになっていた。(後藤・小原の狂犬タッグがIWGPタッグ王座を所持していた時に見始めていた記憶があるので中学1年の時のようだ)
録画もしていたが、次の日学校があるにも関わらずプロレスを見るために夜更かしして日曜日は25時台まで起きていることが多かった。
ほかの番組をザッピングしながらプロレスが始まるのを待っていたのだが、そんな時に目に飛び込んできたのが「J-ROCK ARTIST TOP30」という番組だった。
この番組は、ロックに分類されるアーティストをランキング形式で紹介するというもの。司会者がいるわけではなく(多分ナレーションもなかった)、PVやライブ映像を流して淡々とカウントダウンするだけの番組だったが、この番組で俺はナンバーガールと出会ったのだ。
(くるり、スーパーカー、中村一義、イースタンユース、キリンジ、ゆらゆら帝国、サニーデイ・サービス、POLYSICS、pre-school、THE MAD CAPSULE MARKETS、BEAT CRUSADERS、クラムボンあたりもこの番組で存在を知った)
30分で30組を紹介する番組だったので、1組につき数十秒くらいしか流れなかった。だから曲よりもPVのインパクトが強いアーティストの方が印象に残った。ナンバーガールのPV(「タッチ」「DESTRUCTION BABY」など)の不気味さや怪しさは俺の頭に残るものだった。ボーカルの向井さんがPVの監督をしていたと知るのはだいぶ後のこと。ただ、この時はCDを買うまでには至らなかった

CDを買うきっかけは、中村貴子さんがDJをしていた頃のNHK-FM「ミュージックスクエア」に向井さんがCDのプロモーションで出演した時だと思う。他のラジオ局と違いNHK-FMは曲をフルコーラスで流してくれるのでよく聞いていた。残念ながら放送内容はほぼ思い出せないが、俺はこの番組で何かを感じナンバーガールのライブアルバム「シブヤ ROCK TRANSFORMED状態」を買った。
このアルバムは1999年に渋谷クアトロで行われたライブを収録したもの。ジャケットには毎日小学生新聞に掲載されてライブレビューをそのまま載せるという斬新さ。ラジオでは何曲かは聞いていたがアルバムを通して聴いてみて衝撃を受けた。当時のゴールデンの音楽番組にはここまで轟音で感情を剥き出しにして演奏している人はいなかったし、音程を重視せず衝動のままに歌う人も知らなかった。世界が広がる感覚を味わった。

その後、中学2年の夏にアルバム「SAPPUKEI」を発売週に長崎市・浜の町にあった「アトムレコード」で買い、「シブヤ〜」とはまた違う鋭角サウンドに再び衝撃を受けた。当時周りでは、BUMP OF CHICKENやモンゴル800、Dragon Ashあたりが人気で俺も聞いてはいたが、ナンバーガールは俺の中で別格の存在になっていった。
そんなナンバーガールであるが2002年9月に解散を発表し、11月にあっさり解散してしまった。解散したのは俺が高校1年の時だからメジャーシーンではたった4年しか活動していない。
高校1年で長崎の片田舎に住んでいた俺には、当時ロックバンドのライブに行くのは敷居が高くナンバーガールのライブには行けずじまいだった。その後、向井さんが結成したZAZEN BOYSのライブには何度も行ったが、ナンバーガールのライブに行けなかったという晴らしようがない後悔の念が残っていた。

しかし、今回の発表でその悔いを晴らすことができそうだ。ライジング以外にも何発かやりたいと言っているので、絶対に見に行く。


(Written by 山崎健治)