石田亮

来年1月2、3日に開催される箱根駅伝が徐々に迫ってきており、メンバーのエントリーも行われた。そんな中、東海大学はエースの関颯人(4年)と前回6区2位と好走したVメンバーの中島怜利(4年)と調子が上がらなかった「黄金世代」の2人が外れた。さらに青山学院大は、前々回、前回と5区を走った主力の竹石尚人(4年)が左足痛のため、メンバーから外れるなど、各校から残念なニュースも飛び込んできた。

箱根駅伝が近づいてきたこともあるので、不定期に箱根駅伝で輝き放った、ドラマを生んだそんな歴代の選手たちを紹介する記事を箱根駅伝好きのライターが書いていきたいなと思う。

第1回は城西大学の卒業生「石田亮」に焦点をあてていきたいと思う。
石田は2009年から2011年の箱根駅伝に出場していてる。

それでは石田はどんな選手だったのか?

無念の途中棄権

青森県のスポーツ名門校青森山田出身の石田は3年連続で全国高校駅伝に出場し活躍をしていた選手だった。2009年に箱根駅伝デビューとなった当時2年生の石田は8区を任された。しかしチームの順位は22位と低迷、少しでも順位を上げようとツッコんで走った結果、悲劇が起こる。
石田は一時的な低血糖症になってしまい、途中棄権することになってしまい、襷を途絶えさせてしまった。

先輩の元主将・伊藤一行の存在

石田の棄権によって記録が残らない中、復路エース区間9区を魂の走りを見せたのが当時主将だった伊藤一行である。この区間で誰よりも早く走ったが、棄権により記録が残らない参考記録のため『幻の区間賞』となってしまった。
箱根駅伝が終わった直後の報告会では石田について伊藤は「棄権という結果になりましたけど、それは走った選手が勝ちたいという気持ちが強かったために、こういうふうになったので、称えてやりたい」と語った。

苦悩を越えて、1年越しのリベンジへ

棄権した後、石田は走ることに対して恐怖を感じていたという。悪夢払拭するために、徹底的に走り込んできたというが「箱根駅伝が近づくにつれて棄権した時のことを思い出す」とも取材で答えていた。
そんな石田のリベンジの場となったのが、2010年の箱根駅伝の7区となった。

リベンジは成功したのか?

城西大学はこれまで箱根駅伝上位10校に与えられる「シード権」を獲得したことがなかった。そんな石田の元に襷が届いた時、チーム順位が8位とシード圏内だった。スタート後、7位集団を早稲田、青山学院と共に形成していたが、ペースの速さに9位へ落ちてしまう結果に。しかし、これは作戦で前半に力を使わず後半で勝負する石田の作戦だった。15km手前で追いつき、給水所で息があがっていて、休みかけた早稲田、青山学院を一気に引きはがした。
途中には両親も駆けつけており、沿道から声援を送った両親に対して、石田はしっかり両親の顔を見ながら頷いて駆け抜けたシーンは感動的だった。そして中継地点で襷を渡し、その場に石田は倒れ込んだ。
結果は区間の2位の好走となり、7位と順位は大きく上がってはいないがさらに上の順位を狙える位置にもちこんだ。
そして総合順位で城西大学は6位となり、石田の走りが城西大学史上初のシード権獲得の大きな一因となった。

また当時のテレビ中継ではゲスト解説として元主将の伊藤も出演しており「ラストきつい所で頑張って、こんなになるまで走ってくれたんで、去年の悔しい気持ちは払拭できたんじゃないかと思います」と語った。

石田は2011年にも出場し、復路のエース区間9区で区間5位と活躍した。

最後に

文だけだと、伝えきれないこともあるので、某動画サイトで検索するとすぐに出てくるようなエピソードなので是非1度このエピソード見てもらいたい。
城西大学と言えば現在、旭化成で活躍する双子の村山兄弟の弟・紘太のイメージもあるが、その前にもキーとなる選手がいたこと是非知って欲しい。

ちなみに現在、石田は自衛隊体育学校で現役のランナーとして走っているようです。


(Written by ユーサク)