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2020年1月19日(日)は、お年玉つき年賀はがきの当選番号の抽選会。
今年の一等は現金30万円などだが、一部券種限定で2020年東京五輪の開会式や競技の観戦チケットも当たるという。

お年玉つき年賀はがきが初めて発行されたのは戦後間もない昭和24年(1949年)12月。それ以前は、普通のはがきを年賀状として使用しており、年賀状専用のはがきは存在しなかった。ではどのようにして、お年玉付き年賀はがきは誕生したのだろうか?

日本を元気にしたい!民間人が郵政省に直談判!

このお年玉つき年賀はがきを考案したのは林正治さん(当時42歳)という方。
この林さん、郵政省の役人でも郵便局の局員でも、ましてや国会議員でもない全くの民間人だった。
大阪・心斎橋で洋品雑貨の会社「洋服林」を経営していた林さんは、昭和24年6月にお年玉付き年賀はがきのアイディアを思いつく。
当時はまだ戦後で国全体が疲弊しており、手紙のやり取りなども少なくなっていた。林さんは戦前のように年賀状が復活すれば互いの消息がわかり、また、お年玉として商品も付けること復興にも繋がると考えたという。

アイディアを思いついた林さんは地元の郵政局に行くと郵政省への紹介状を書いてもらった。7月、林さんは見本のハガキと宣伝用のポスターを作り、お年玉の商品案を携えて上京、郵政省に直談判した。
郵政省では、「食べるものもない時代なのに、送った相手に賞品が当たるなどと、のんびりしたことを言っていられる状態ではない」との反対意見もあった。しかしながら最終的には林さんの情熱が勝ったのが、お年玉つき年賀はがきのアイディアは採用され、その年の12月に発行が始まった。
ちなみに第一回のお年玉の内容はというと「特等:ミシン」「1等:純毛洋服地
」「2等:学童用グローブ」「3等:学童用こうもり傘」だったという。

日本はこの頃から徐々に日本は復興していくが、お年玉つき年賀はがきも打ちひしがれていた日本国民の希望になったのかもしれない。日本を元気にしたいとの思いから誕生したお年玉つき年賀はがきは、今や日本の正月の風物詩になっている。

【参考】
「年賀状の歴史と話題」(郵政研究所付属資料館)