のフレーズでお馴染みのクリスタルキングの名曲「大都会」。
1979年に彼らはこの曲で、中島みゆきや世良公則&ツイストらを輩出した若手歌手の登竜門「ヤマハポピュラーソングコンテスト(ポプコン)」のグランプリを勝ち取り、見事スターダムを駆け上った。
この曲の“大都会”は“東京”のことを指していると思われがちだが実は違う。
1970年代前半、長崎県佐世保市で結成したクリスタルキングは、佐世保の米軍キャンプやクラブで、米兵などを相手にライブを行っていた。
腕を磨いた彼らは1975年、博多のディスコから好待遇で引き抜かれ、活動の場所を移す。しかし、そこでは自分達の思うような活動ができず葛藤に苦しんだという。その時のことを歌にしたのが「大都会」。つまり、大都会とは東京ではなく“博多”のことなのである。
佐世保に比べたら博多は大都会には違いないが・・・一般的な感覚から言うとせいぜい中都会であろう。では、何故このようなタイトルになったのか。ここにも意外なエピソードがある。
実は曲も歌詞もできていたが、タイトルだけはなかなか浮かばなかったという。
前の年の「ポプコン」では入賞止まりだったが、今年はグランプリを取れる自信がある。そんな曲にふさわしいタイトルをつけなくては・・・
メンバー同士で頭を抱えていたとき、テレビの画面の向こうにある男の姿が映しだされた。
・・・そう、渡哲也である。
テレビで流れていたのは、石原プロモーション製作の刑事ドラマ「大都会 PART2」。渡哲也のさっそうとした姿と印象的なタイトルがブラウン管に映し出された瞬間にメンバーは「タイトルにいただいてしまおう」と閃いたのだという。かくして、昭和を代表する名曲「大都会」は誕生したのである。
出典
九州朝日放送「未来への羅針盤」(2011.12.25)
「佐賀新聞」(2007.03.15)
(written by 山崎健治)