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大ヒット公開中の細田守監督最新作『竜とそばかすの姫』(2021年7月16日公開)。
17歳の女子高生・内藤鈴(すず)が、超巨大インターネット世界<U(ユー)>と出会い、成長していく姿を描く。インターネット上の仮想世界で歌姫となった鈴が、ネットの秩序を乱す“竜”と出会い、やがて自身の歌声で世界を変えていく姿を描いている。

細田監督が『デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!』(2000年)、『サマーウォーズ』で描いてきたインターネット世界を舞台。10代の女子高校生がヒロインというのは『時をかける少女』で、登場する“竜”からは『バケモノの子』や『おおかみこどもの雨と雪』の雰囲気を感じさせる、細田作品の集大成のような大作となっている。


※以下、『竜とそばかすの姫』のネタバレを含みます!





主人公・鈴は幼いころに事故で目の前で母親を亡くしている。
鈴の母は豪雨で増水した川の中州に取り残された他人の幼い子供を助けるために、ライフジャケットを着て川に入る。結果的に子どもは助かるのだが、鈴の母は亡くなってしまう。
周囲にはたくさんの大人がいる中で、鈴の母親はいの一番に川に飛び込む。当然鈴は「行かないで」と泣いて止めるのだが、「誰かが行かなければあの子は死んでしまう」と言い残し母は川の中に行ってしまうのだった。
作中、鈴の「なぜお母さんは私と生きるより、名前も知らない子を助けて死ぬ方を選んだのか」というようなセリフがあった。

私も同じことを思った。
周囲に男性もいる中で鈴の母が最初に川に入る必要があったのか、自分が死んでしまうこと、そのあとの家族のことは考えなかったのか(鈴の母が泳ぐシーンがあるので、泳ぎには自信があった?)。自分の母親が同じことをしたら、鈴と同じことを思うだろう。

細田作品の“母親”とは・・・

細田作品は母親が重要な役割を担うことが多いように思う。中でも特に母親の存在感があったのは『おおかみこどもの雨と雪』の花だろう。

母親になる花は、東京郊外の国立大学に通う学生であるが、大学の講義に潜って受講する「彼」に惹かれ、二人は恋に落ちる。ところが「彼」は、自分がおおかみに変身できる「おおかみおとこ」であることを告白。花はそれを受け容れ、二人は事実婚をして二人の子供、女の子の雪と男の子の雨を産む。しかし「彼」は死んでしまい、花はシングルマザーとして富山の人里離れた古民家に引っ越して子育てを始める。雪は花の願う人間としての成長をしていくが、雨は人間として生きたい雪と対立し、山でおおかみとして生き始める。

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花は父子家庭で育ち、その父親も亡くなっているため天涯孤独。血縁コミュニティにも、おおかみこどもであることもあり、公的な福祉・セーフティーネットにも助けられることはない(役所の人が花による育児放棄を疑って彼女を追い詰める)。富山移住に伴って大学も中退。そんな苦労を重ねて育てた雨は結局人間の世界に馴染めず、おおかみとして生きていく。最後まで花は報われないまま終わってしまう。

『竜とそばかすの姫』の鈴の母親にも感じられるが、細田作品の母親は「自己犠牲の上に成り立つ母親」とかなり男性的な目線で描かれているのではないかと思われる。

では、他の名アニメ監督たちの描く“母親”はどんな特徴があるのだろうか。


新海誠監督はほとんど母親を描かない


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大ヒットした『君の名は。』『天気の子』の新海誠監督は、実は4作連続で「主人公やヒロインの両親がいない」または片親という設定にしている。
2011年の『星を追う子ども』、2013年の『言の葉の庭』では主人公の父親がおらず、『君の名は。』では主人公に母親がいない。『天気の子』ではヒロインの両親がおらず、主人公の森嶋帆高は家出をして東京に来るのだが、その理由や家庭環境も一切描かれていない。また『星を追うこども』の前に作られた『秒速5センチメートル』では主人公に両親がいる設定ではあるが、家庭の様子はほぼ描写がない。

新海作品では“母親”という存在がキーパーソンになることがない。そこには2つの理由があるという。
「そもそも日本のサブカルチャーの中で、片親設定はポピュラー。両親って思春期の自分の内部を描くに当たっては邪魔になるんです。だからテクニックとしてあえて描かないことがあります」。
「(両親や家庭などに)フォーカスを当てることはしたくない。彼らは未来のことが気になって仕方なくて、今知り合った大切な誰かのことが気になって仕方なくて、先しか見てなくて、そのまま違う世界に行ってしまう物語にしたかった。現実でも若い人には前を向いていて欲しいです」

確かに、『星を追う子ども』の主人公・渡瀬明日菜は、看護師の母親が家にいないことに寂しさを感じているが、そこにフォーカスをしているわけではない。『君の名は。』の立花瀧も、『天気の子』の森嶋帆高も“大切な誰かのことが気になって仕方なくて、先しか見てなくて”という主人公だ。

宮崎アニメの母親は

アニメーションを語るうえで宮崎駿監督作品は外せない。ナウシカ、千尋などの女性主人公やヒロインには「愚痴や泣き言は言わず、いつも前向きで健康的」というとにかく健気という共通点があるように思えるが、登場する母親はどうだろうか。宮崎監督作品にも母親や両親が登場しない作品は多くある。『風の谷のナウシカ』に『紅の豚』などだ。

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逆に母親の存在が印象的な作品もある。『となりのトトロ』のサツキとメイの母親・草壁靖子、『崖の上のポニョ』の宗介の母親・リサ、女手一つで3人の子どもを育てたという『天空の城ラピュタ』のドーラ。人間ではないが『もののけ姫』のモロも重要な役割を果たしている。

宮崎監督作品の母親からは感じるのは「強い女性」。
草壁靖子は病気で入院しているが、サツキやメイがお見舞いに来たときや、ラストシーンで夫のタツオと会話しているシーンも元気そうに振舞っている。
宗介の母親リサは車の運転の粗さなどにその強さが出ており、何より宗介に両親の名前を呼び捨てにさせている。これは「お父さん」や「お母さん」という普遍的な立場への依存度が低くなり、子どもの自立を促している描写だ。モロは子ども思いの優しい母親だが死に際に執念で首のみで動き出して憎んでいたエボシの右腕を食いちぎる強さを見せた。
そして、ドーラはパズーを仲間に入れ、髪を切られたシータをいたわるなど、優しさをみせる一方で一家をまとめる強さを見せている。

これは宮崎監督の中にある母親像や女性像が、自身の母親がモデルになっているからなのではと言われている。宮崎監督の母親は病弱で入院することもあったそうだが、4人の子どもを育て上げた。明るく活発で言うことはズバリと言う、勝気で、そして芯はやさしい人柄だったという。
優しく勝ち気で、芯は強い。宮崎監督の描く母親はそういう要素を持った母親が多いような気がする。

皆さんはそれぞれの作品からどのような“母親”を感じるだろうか。

(Written by 大井川鉄朗)