2021年のNHK大河ドラマ『青天を衝け』が好評放映中。日本の資本主義の父と言われた渋沢栄一を主人公に、その渋沢が仕えた15代将軍徳川慶喜は、大政奉還後に静岡に居を構え、余生を過ごした。地元の静岡では今でも「けいき(慶喜)さん」と呼ばれている。

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その静岡市には、渋沢と慶喜、二人のゆかりのスポットが、現在も多く残る。そのなかでもおすすめの場所をピックアップして紹介する。

■謹慎中の慶喜とフランス帰りの渋沢が再会!徳川ゆかりの寺

まずは、謹慎中の慶喜と、パリから帰国した渋沢が再会した場所から。静岡市葵区にある「宝台院」で、ここは初代将軍の徳川家康の側室だったお愛の方(2代将軍秀忠の母、西郷局)の菩提寺でもあり、古くから徳川家とかかわりが深い寺院だ。

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1867年に大政奉還を行った慶喜はその後、この宝台院で謹慎。その知らせを、慶喜の弟・昭武から受けたフランス留学中の渋沢は急ぎ帰国した。慶喜にフランス留学で見聞きしたことを伝えた渋沢はそのまま静岡に残り、藩政の立て直しに尽力してほしいと慶喜から直々に要請されたという。

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■慶喜が住んだ名庭園ある「浮月楼」、実は渋沢の会社もあった

続いて、慶喜が謹慎後に約20年住み、渋沢が「商法会所」を創立した場所「浮月楼」も、静岡市の一等地に残る。慶喜が愛でた「東海の名園」と呼ばれる庭園、また、当時まだ数台しかなかった自転車に慶喜が乗り、静岡市街を走り回っていた逸話も残る。

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渋沢は、銀行兼総合商社「商法会所」をここに創立。現在は高級料亭もあり、かつては伊藤博文や井上馨ら著名人も訪れた。敷地内にある慶喜に関する展示、渋沢が書いた慶喜の伝記などは必見。

■渋沢が家族と過ごした寺院、長女の著書にエピソードも

一方、渋沢が静岡滞在時に家族と過ごした寺院が、静岡市清水区にある「教覚寺」だ。慶喜の要請で静岡藩の財政立て直しに尽力した渋沢は、以前は浮月楼を役宅としていたものの、謹慎を解かれた慶喜が住むこととなり、「商法会所」ともども、この教覚寺に移転した。

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ただその後、明治政府の要請で東京に移住することになったため、教覚寺での生活はわずか2ヶ月ほど。渋沢の長女が記した著書に、教覚寺でのエピソードが残っている。

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■昔も今も賑わう「呉服町」は渋沢が奔走した場所

さらに、渋沢は静岡に来た当初、JR静岡駅の北西にある「呉服町」で下宿しながら、「商法会所」の設立を目指した。特に当時、呉服町には豪商も多く、渋沢は出資協力を得るためにこの場所を奔走したとされる。

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この呉服町は、戦国時代にこの駿府の地を支配した名門、今川氏の頃から城下の主要地区として栄え、戦前までは十数軒もの呉服店が通りに軒を連ねた。現在でも通りには多くの店が並び、賑やかな場所だ。

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