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幕末に京都の治安維持活動のために活躍した新選組。映画、ドラマ、小説、漫画、ゲームなど新選組を題材にした作品は数多くあり、日本史の中でも屈指の人気を誇る剣客集団です。
2021年10月15日(金)からは司馬遼太郎さん原作の『燃えよ剣』が公開となりました。

香取慎吾さんが近藤勇を演じたNHK大河ドラマ『新選組!』を観てから新選組ファンになった筆者はもちろん『燃えよ剣』も劇場に観に行きました。「土方カッコイイ!」「村本さんの演技最高!」と映画は大満足。司馬遼太郎さんの原作は読んだことが無かったので、その帰り道に本を買って帰ってきました!
それだけでは飽き足らず、改めて新選組について勉強しなおすことに。特に、新選組の最後がどうなったのかについて調べてみました。

近藤、土方亡き後に局長になった男がいた

鳥羽伏見の戦いで敗れてから、新選組は敗走を続け、名前を変えながら甲府、流山、宇都宮、会津、仙台と転戦を続けて行きます。その中の1868年5月に局長だった近藤勇が板橋で斬首。残った新選組は北海道へ渡り戦いますが、副長で近藤が負傷離脱した際などに局長代理を務めた土方歳三は五稜郭で戦死。この時に新選組は瓦解した、と思っている人も多いのではないでしょうか。

実は、指揮をとっていた土方の後を継いで事務的とはいえ戦後の責任を追う立場として隊長を引き受けた男がいました。その男の名前は相馬主計(そうまかずえ)。

相馬は常陸国笠間藩(現在の茨城県笠間市)出身。1865年に脱藩し、幕府の第二次長州征伐に参加し、長州征討軍の解散後、新選組に入隊しました(明確な加入時期は不明ですが、鳥羽伏見の戦い時点では入隊していたとされています)。

その後甲府で敗れた後、千葉の流山まで退却し、そこで近藤は新政府軍に投降します。映画やドラマでもよく描かれるシーンで、近藤の脇に2人いる護衛のうちのひとりが相馬です。近藤が処刑される際に相馬も捕らえられ、笠間藩で謹慎処分となりました。

しかし相馬は脱走し、幕府軍として戦い続け、なんと仙台で土方と再会し、新選組に再合流します。そして共に北海道へ。土方が1869年5月11日に戦死すると新選組残党も投降。箱館戦争に参加した医師・高松凌雲の書簡によると、相馬が隊長に就任したのは1869年5月15日。戊辰戦争終結は5月18日なので、相馬が新選組隊長だったのは、たった3日間。新選組を幕引きさせるための局長就任でした。

新選組解体後の相馬は…

1870年に相馬は伊東甲子太郎、坂本龍馬暗殺の嫌疑をかけられて伊豆七島の新島に流刑になります。そこで大工の棟梁である植村甚兵衛に身柄を預けられ、その娘と結婚し、寺子屋を開いて穏やかに暮らしていました。
しかし2年後、相馬にとっては幸か不幸か流刑制度廃止のため妻とともに東京・蔵前に移り住むことになりました。明治政府の役人として各地方に派遣され順調に昇進しますが、1875年に突然免官(官職をやめさせること)されてしまいます。元薩長藩士らともめたなど色々憶測はありますが、本当の理由はわかっていません。

そして妻が外出中のある日、相馬は突然割腹自殺を遂げてしまいます。相馬は妻に他言無用と言い残し、辞世の句や遺書など残さず、また妻も詳細を語らなかったため、詳しい動機は不明なままです。

相馬はどんな思いだったのか

実は相馬の出身の笠間藩は尊皇思想の強い水戸藩の影響もあり、戊辰戦争では新政府側についています。相馬も尊皇思想が強かったようで、現在は日野市が所有している相馬の手記『贈友談話』では幕府側についたことを後悔しているのではないかと思われる記述もあります。

仕事はでき、出世することはできてもいつもどこかで「あいつは幕府についていた」と周りから後ろ指を指されてしまう。自分で信念を持って決めて戦ったはずなのに、そんな日々を送るうちに自分の生き方を後悔してしまい、武士としてそんな風に思ってしまう自分すらも受け入れられない。士道を突き進み、武士として最後まで戦った男の最後のけじめのつけかただったのかもしれませんね…。

(Written by 大井川鉄朗)