滋賀最古の寺は、建立からおよそ1,400年の間、歴史の荒波にもまれ、幾多の困難を乗り越えてきました。そして、今は「紅葉の名所」として知られます。滋賀・湖東エリアの東近江市にある「百済寺」(ひゃくさいじ)です。
寺は、標高771.8メートルの押立山中腹にあります。赤門から参道を進むと、左手に本坊・喜見院が見え、仁王門をくぐってさらに先に進んで山を上っていくと、国指定重要文化財の本堂が建っています。ところどころに石垣が残るのも見られ、山城の名残も感じられます。
「くだら」と読まず、「ひゃくさいじ」と読みます。その理由は、くだらが日本語、朝鮮ではひゃくさい(はくさい)と読むからとのこと。
百済寺はその名から、朝鮮半島にあった「百済」という国家に由来します。
寺の言い伝えによると、推古天皇14年(606年)、あの聖徳太子が建立したとのこと。山中で輝く霊木の杉を見つけ、その杉を立ち木のまま刻んで十一面観世音菩薩(植木観音)を作り上げ、像を囲むように本堂を建立。百済にあった龍雲寺にならったとのことです。
当時、朝鮮半島から日本に来る渡来人が後を絶たず、一般的には九州経由で本州に入るルート、しかし一部で朝鮮半島から近い北陸に船で着き、そのまま南下して当時の近江国に来たいわゆる「闇ルート」もあったそう。百済寺が渡来人の氏寺だった説が有力。「釈迦山」とお釈迦様が入った山号も唯一です。
平安時代から中世にかけ、1000近くの坊、1300人あまりを擁する一大勢力に。これを警戒したのが、戦国時代に近江国の安土城を拠点にした織田信長でした。元亀4年(1573年)に信長による焼き討ちにあい、寺はほぼ全焼。本尊の植木観音は約8km離れた奥の院に避難して無事でした。ルイス・フロイスによる「地上の天国」の消失を惜しむ記述も残されています。
現在は滋賀随一の「紅葉の名所」として知られます。寺の境内が真っ赤に染まる絶景はただただ見事。遠方から訪れる人も多いほど毎年人気です。
本坊・喜見院にある立派な池泉回遊・鑑賞式庭園も見ごたえあります。
近年、信長の焼き討ちを受ける前まで造られ、朝廷や幕府にも献上されていた当時まだ珍しかった清酒「百済寺樽」が、地元で立ち上がったプロジェクトによって444年ぶりに復活。
寺内で「百済寺樽」として限定販売されています。
なお、お寺に住むかわいい看板猫たちも、参拝者に密かな人気。自然あふれる寺と合わせて心を癒されます。
釈迦山 百済寺
http://www.hyakusaiji.jp/
めくるめく歴史絵巻 滋賀・びわ湖
https://historical.biwako-visitors.jp/
(開催期間:2021年9月1日〜2022年3月31日)
(Written by A. Shikama)