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プロ野球大好きな大井川鉄朗が様々な観点から独断と偏見で勝手にベストナインを選んでみるというこの企画。今回はWBC2023年大会開催記念、「もし1964年東京オリンピックに野球があったらどんな侍ジャパンメンバーになっていたのか編」。
1964年に行われた東京オリンピックに、もし野球種目がありオールプロで参戦していたらどのようなメンバーになっていたのかを考えてみる。
※所属球団名、年齢は1964年当時のもの

投手:金田正一(31)国鉄スワローズ

64年仮想侍ジャパンのエースは、昭和の大投手金田正一さん。当時31歳で、最多奪三振のタイトルを獲得した。プロ2年目から14年連続で20勝を達成。翌65年以降は勝ち星を減らしてしまったため、64年がキャリア最後の20勝超えとなった。この年に国際大会があれば絶対的柱としてチームの中心選手になっていたはず。

1964年成績:44試合 27勝12敗 231奪三振 防御率2.79

捕手:野村克也(29)南海ホークス

64年は本塁打、打点王のパリーグ2冠に輝き、南海をリーグ優勝・日本一に導いた野村克也さん。63年の53本、打率.291から成績を落としてしまったが、もし侍ジャパンが結成されていれば日本球界屈指の“打てる捕手”として、チームを勝利に導いていたに違いない。

1964年成績:148試合 打率.262 146安打 41本塁打 115打点

一塁手:王貞治(24)読売ジャイアンツ

64年当時、若干24歳で日本人歴代最多のシーズン55本塁打を放ち、本塁打王・打点王のセリーグ二冠とMVPを獲得。ここから本塁打を量産し、伝説の868本塁打を達成することになる世界のホームラン王こと王貞治さん。侍ジャパンが結成されていればクリーンナップの一角を任されていただろう。

1964年成績:140試合 打率.320 151安打 55本塁打 119打点

二塁手:高木守道(23)中日ドラゴンズ

レギュラー定着2年目、ベストナインにも選ばれた高木守道さん。64年は球団創設以来初の最下位となってしまったドラゴンズの中でも123試合出場で打率.293と安定感を見せた。ベストナインは63年から2年連続。このあと67年まで5連続でベストナインを獲得することになる。

1964年成績:123試合 打率.293 141安打 8本塁打 31打点

三塁手:長嶋茂雄(28)読売ジャイアンツ

64年は3位に終わったが、翌65年から巨人は9年連続日本一を達成するV9時代に突入。そのV9の中心選手として活躍することになるミスタープロ野球、長嶋茂雄さん。64年はリーグ3位タイの31本塁打をマーク。侍ジャパンが結成されていれば、間違いなく野手の中心選手になっていただろう。

1964年成績:133試合 打率.314 144安打 31本塁打 90打点

遊撃手:吉田義男(31)阪神タイガース

遊撃手はこの年、キャリア唯一の打率3割を達成した吉田義男さん。この年は当時プロ野球記録となる179打席連続無三振も達成した(1975年に更新)。チームのリーグ優勝に大きく貢献した。キャリアの晩年は二塁手としての出場も増えていたが、64年はまだまだ遊撃手のレギュラー。牛若丸と称された華麗な守備を侍ジャパンでも見せてくれたことだろう。

1964年成績:123試合 打率.318 138安打 8本塁打 29打点

外野手:広瀬叔功(28)南海ホークス

64年侍ジャパンのリードオフマンは間違いなくこの人であっただろいう俊足の外野手・広瀬叔功さん。64年は打率.366で首位打者を獲得した他、なんと72盗塁という驚異的な数字で盗塁王を獲得した。

1964年成績:141試合 打率.366 167安打 12本塁打 58打点 72盗塁

外野手:江藤慎一(27)中日ドラゴンズ

外野手2人目は江藤慎一さん。最下位中日の主砲として21本塁打を放った。64年のセリーグ首位打者で、王貞治さんの三冠を阻止し、戦後初の三冠王誕生を阻止した。翌65年も首位打者を獲得している。王さん、長嶋さんが2人揃って現役だった時代(59〜74年)のセリーグで2年連続打撃タイトルを獲得したのはこの江藤さんだけ。

1964年成績:140試合 打率.323 151安打 21本塁打 72打点

外野手:張本勲(24)東映フライヤーズ

最後はNPB唯一の3000安打達成者である張本勲さん。64年は24歳のシーズンで、この頃はまだ盗塁も多く、キャリア2番目となる31盗塁を記録している。打率は前年の.280から大幅に上昇して.328。本塁打も21本放っており、まさに打ってよし走ってよしの選手だった。

1964年成績:129試合 打率.328 151安打 21本塁打 72打点 31盗塁

(Written by 大井川鉄朗)