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2023年、新庄剛志監督率いる北海道日本ハムファイターズは、新球場エスコンフィールド北海道開業元年を迎え、優勝だけを目標にシーズンをスタートさせた。春先からケガ人が続出し、投打ともに不安だらけの戦いとなったが、5月19日には新庄政権初の4位浮上を果たし、交流戦終盤から5連勝と借金を3まで減らした。次第にケガ人も戦線に復帰。Aクラス争いの台風の目になる……と思われたが、7月4日にホークスに勝ったのを最後に連敗街道を抜け出せず、7月23日にかけて12連敗……。球団ワーストの14連敗がすぐそこまで来ているという状況になってしまった。

さて、この記事が掲載される頃には連敗が記録を更新せずに当然ストップしていると信じているが、ふと気になるのは球団最多記録である14連敗をしてしまった1984年のファイターズだ。39年前、まだ後楽園球場を本拠地にしていた時代、これほどまでの連敗を喫してしまったチームはどのような状況だったのか調べてみた。

優勝後に一気に低迷した84年シーズン

1984年、ファイターズは新監督を迎えた。大沢啓二氏が勇退し、1980年から1軍投手コーチを務めていた植村義信氏が監督に就任。しかし83年オフに高橋一三投手が引退、江夏豊投手が西武・柴田保光投手とのトレードで移籍。4年連続30本塁打を放ったトニー・ソレイタ選手が退団するなど1981年に優勝を経験した選手がチームを去り、戦力が弱体化していた。
3月31日、開幕マウンドを田中幸雄投手に託し、シーズンに入ったファイターズは開幕2連敗を喫し、3試合目の阪急でシーズン初勝利。4月は4連勝もあり、10勝12敗2分と最下位ながら首位とは3ゲーム差とまだまだ巻き返しが可能な位置に。しかし、5月上旬に5連敗で失速し最下位に。5月下旬からは8連敗と完全に黒星が先行し、5月を5勝16敗3分で終え、完全に最下位が定位置に。5月終了時点で首位と14ゲーム差も離されてしまった。6月下旬に植村監督が解任、2試合矢頭高雄ヘッドコーチが監督代行を務めた後、前年まで監督だった大沢啓二氏がカムバックする。
しかし悪い流れは断ち切れず、7月10日からオールスターを挟み、8月9日まで引き分けもあったが14連敗という球団最多連敗記録を更新。オールスターブレイクがあったとは言え、1か月もの間勝利から遠ざかったことになる。結局44勝73敗13分、勝率.376で9年振りの最下位に沈むことになった。

この年は投打ともに大きく低迷した。投手は2ケタ勝利がなく、2年目の田中富生投手の8勝(13敗)がチーム最多勝。83年に10勝を挙げた間柴茂有投手は5勝(11敗)、開幕投手の田中幸雄投手は2勝(9敗)と柱になるべき投手が全員大きく負け越した。
4番の柏原純一選手は打率.227、ホームラン18本と打率リーグ最下位を記録する大不振に。トミー・クルーズ選手が打率.348、ホームラン29本と首位打者争いを繰り広げたが、クルーズ選手1人ではチームを押し上げることはできなかった。ルーキーの白井一幸選手をはじめ、若手の台頭もあったのが唯一の救いというシーズンだった。



優勝メンバーがいなくなり、世代交代が上手くいかずに低迷。若手は育っているものの、目先の勝利には繋がらない…。1984年のファイターズは、2023年のファイターズに非常に似ているのではとも思えてきた。
勝負事は勝つときもあれば負けるときもある。次に優勝したとき、「こんなに負けたよね」と我々ファンが笑える日が来ることを心から願っている。

(Written by 大井川鉄朗)