大川博さん2
大川博さん(大川裕様提供)

 日本の近代化に貢献した隠れた功労者、大川博さんについて前編では生い立ちや東映社長としての功績について紹介いたしました。大川さんは東映以外にも日本教育テレビ(現在のテレビ朝日)の会長、プロ野球「東映フライヤーズ」のオーナーなども兼任し幅広く活躍した昭和の実業家です。そんな大川さんですが故郷新潟に対する想いは常に心の中にあったといいます。

新潟に対する想い

 大川博さん孫である大川裕さんにお話を伺いました。小学生の頃には一緒に暮らしていたこともあり、大川家は色んな人が出入りする賑やかな家だったそうです。鉄道省の経理畑出身で東映時代にコスト管理を徹底したと書いてきたので堅そうなイメージを持つかもしれませんが、裕さんによると博さんは陽気で“人たらし”な性格だったといい、それがビジネスで成功した理由の一つだと言います。また、鉄道が好きな子供だった裕さんは、鉄道のことについて何を聞いても答えてくれる博さんに対して尊敬の念を抱いたといいます。

大川裕さん
大川裕さん

正月に一緒に遊んだのは新潟名物でもある凧。博さんは東京で暮らしながらも故郷である新潟に対する想いを忘れたことはありません。
 博さんは東映の経営の多角を目指す中でシティホテルの経営に乗り出します。そこで目をつけたのが出身地である新潟県。昭和36年(1961)7月に新潟県内で初の洋式ホテルとして「新潟東映ホテル」をオープンしています。レジャー事業にも乗り出していた東映は新潟県内にボウリング場もオープンさせています。ビジネス以外の面でいうと地元新潟市中之口に当時あった学校に、映写機やピアノを寄贈していました。様々な文化に触れあう機会を与えたいという想いがあったそうです。

「新潟国際アニメーション映画祭」では大川博賞が設けられる

 「東洋のディズニー」を目指した博さんの意思を継ぐようなイベント「新潟国際アニメーション映画祭」が2023年より新潟市で開催されています。この映画祭は長編アニメーション映画のコンペティション部門をもつアジア最大の祭典で、新潟から世界にアニメという文化を発信していくことを目指しています。
この映画祭では、日本初の本格的なアニメスタジオを設立した大川博さんにちなみ「大川博賞」と題しアニメスタジオを表彰、孫の裕さんがプレゼンターを務めています。2024年3月に開催された「第2回新潟国際アニメーション映画祭」では「映画大好きポンポさん」を制作したアニメ―ション制作スタジオ「CLAP」が受賞しています。

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 前・後編にわたり大川博さんの生涯と功績について紹介してきました。現代ではあまり語られることが少ない昭和の偉人ですが、大川さんをはじめとした多くの実業家が日本の近代化を支えてきたことは言うまでもありません。


【取材協力者】
大川裕様

【参考文献】
津堅 信之・著『ディズニーを目指した男 大川博』(日本評論社、2016年)

【参考】
東映株式会社
https://www.toei.co.jp/company/index.html
新潟国際アニメーション映画祭
https://niigata-iaff.net/

(written by 山崎健治)