ダルビッシュ投手は我らが北海道日本ハムファイターズ時代に93勝、メジャーで107勝を挙げ、野茂英雄投手、黒田博樹投手に次ぐ史上3人目の日米通算200勝を達成。これまで200勝以上の投手で、全ての白星を先発で挙げたのはダルビッシュ投手のみの偉大な記録となった。そんなダルビッシュ投手の偉業を祝して、今回はこれまでの200勝投手のあれこれをまとめてみたいと思う。
21世紀に入ってからは達成者は5人だけ
日本の200勝投手は、ダルビッシュ投手を含めて27人。21世紀に入ってからの達成者は04年の巨人・工藤公康投手、05年デビルレイズ・野茂英雄投手、08年中日・山本昌投手、16年広島・黒田博樹投手、そして今回のダルビッシュ投手の5人のみ。
救援勝利数最多は86勝
ダルビッシュ投手は史上初の救援勝利0、すべて先発登板での200勝を達成したが、次いで救援勝利が少ないのは1勝の黒田博樹投手、2勝の野茂英雄投手。いずれも日本で挙げたものだ。200勝達成時の救援勝利数の最多は南海で活躍した皆川睦雄さんの86勝。
甲子園優勝投手は実は2人だけ…あの男が達成すれば3人目!名球会入りは史上初に!
往年の名投手が達成している200勝だが、甲子園で優勝経験がある投手で200勝を達成しているのは、意外にもたった2人。ひとりは1965年の春のセンバツで岡山東商高のエースとして優勝し、大洋でカミソリシュートを武器に201勝を挙げた平松政次投手。もうひとりは、中京商で1937年夏、1938年春の春夏連覇を達成し、プロで237勝を挙げた野口二郎投手だ。また、名球会会員だけに絞ると200勝を挙げた会員は平松投手のみ。野口投手は大正生まれのため、昭和生まれ以降という名球会の入会条件の対象外だ。
ということで名球会会員に限ると、夏の甲子園優勝投手の投手会員はいない(柴田勲さんは夏の甲子園優勝投手の名球会会員だが、プロでは打者へ転向している)。しかし197勝を挙げ、200勝間近となっている楽天・田中将大投手(夏の甲子園優勝投手)が達成し、名球会入りとなれば、甲子園優勝投手の200勝は3人目、史上初の夏の甲子園優勝投手名球会投手会員となる!
最年少200勝達成は24歳!
最年少での200勝達成は伝説の400勝投手・金田正一投手。17歳でプロ入りした金田投手は、途中入団にもかかわらずルーキーイヤーに8勝を挙げると、2年目にはノーヒットノーランを含む22勝を挙げた。そこから14年連続20勝という考えられない成績を残し、1964年に24歳で200勝を達成している。
杉下茂投手が200勝を達成した試合の負け投手はジャイアント馬場さん
日本で初めてフォークを投げたとされる中日のレジェンド“フォークの神様”こと杉下茂さん。通算215勝挙げた名投手で、その200勝を達成したのは1957年10月23日、後楽園球場でのジャイアンツ戦。杉下投手と投げ合ったジャイアンツの先発投手は、入団3年目の馬場正平さん、のちの名プロレスラー・ジャイアント馬場さんだ。馬場さんは5回まで投げて1失点ながら負け投手に。ちなみに馬場さんの生涯成績は3試合の登板で0勝1敗、防御率1.29。
今後200勝の可能性が高い投手は先述した楽天・田中将大投手。以下、185勝のヤクルト石川雅規投手、164勝のホークス和田毅投手、163勝のメジャーリーグ・タイガース前田健太投手など。今後の大記録達成を楽しみしたいと思う!
そして改めてダルビッシュ投手、本当におめでとうございます!!!!!!!
(Written by 大井川鉄朗)