「文学フリマ」(略して「文フリ」)とは、文芸関連の同人誌を売り買いする、「文学オンリーの展示即売会」イベント。2002年11月3日に第一回が開かれ、最近では、2009年5月10日に第八回が開催されている。その文学フリマ運営事務局の代表を務める、フリーライター・イベントディレクターの望月倫彦(もちづき・ともひこ)さん(28歳)にお話を伺った。

初回の運営者は僕ではないんですよ。評論家の大塚英志さんが、文学の門戸を万人に開くため、「コミックマーケット」の文学版を文芸誌で提唱したのが、そもそもの文フリの成り立ちです。
その大塚さんが編集者の市川真人さんと組み、第一回の運営者を務めましたが、彼らはいわば旗振り役で、運営するのは一回限り。次回以降を引き継ぐ人を募集していました。
僕は、大塚さんが呼び掛けた文章を読み、第一回にサークルとして参加しています。その会場の雰囲気から、「これは長く続きそうだ」と可能性を感じたので、イベント終了後の会合で、運営者の名乗りを挙げました。
同じように手を挙げた人が10人くらいいて、最初はみんなで共同運営しようとしていましたが、代表がひとりいないと対外的にまずいだろうと。しかし、大きな責任を負う代表をいざ決めようとなると、誰も挙手せずにシーンとなりました。
それから一ヶ月くらい悩んだのですが、その頃の僕は大学院生で時間的にも余裕があったので、次の会合で大塚さんに名乗りを挙げ、晴れて第二回以降の運営代表になりました。
―今まで印象に残った出来事は何でしょうか?
第一回で、僕が大学でロシア文学を教わっていた教授がすぐ隣のブースにいて、僕らと同じように本を売っていることに驚きました。
第四回では、桜庭一樹(当時から人気があり、後に直木賞受賞)さんと桜坂洋さんの共同ブースに、約300人の大行列ができました。第五回では、芥川賞作家の長嶋有さんが出店参加して、大手の新聞社も取材に来ました。
第七回で「ゼロアカ道場(第四関門)」というイベントがありました。これは批評家を養成するオーディションのようなものです。その第四関門で文フリを会場に、同人誌を売って競う企画を、講談社BOX編集部が提案してきました。僕は「おもしろい。だから、やろう」と思って受け入れました。
この「ゼロアカ」によって、文フリ史上・過去最大の動員数を記録して、第七回は大成功でした。8チームがたった5時間で、3800部以上の同人誌を売ったのです。文フリ自体がお祭りのような催しですが、その中でも特に華やかな、大輪の打ち上げ花火でしたね。
―5月10日に開かれた第八回イベントの様子を教えて下さい。
来場側では、普通の同人イベントだと、昼も過ぎれば帰ってしまいがちですが、文フリでは終了間際までお客さんがおり、熱気を保っていました。
出店側では、斬新なアイディアのサークルがありまして、本を売らずにQRコードでサイトに案内して文書を読ませていましたね。
そして今回、「パフォー」というNHKの番組の、小説投稿ブースがありました。ふたりの審査員、桜庭一樹さんのもとへショート小説を、鈴木光司さんのもとへリレー小説を、応募するためのブースです。文フリでの創作の受け皿を広げる、大事な催しだと思います。
―今後の予定・展望をお願いします。
次回は、2009年12月6日に第九回を開催します。そこでは、第八回と同じ会場の会議室に見本誌スペースを移すことでキャパを広くして、応募サークルをなるべく落選させずに受け入れることも視野に入れています。再び地方で開催したり、過去の見本誌を展示したり、といった構想もありますね。
長期的展望としては、内輪だけで閉じずに新しい文学が育つ、サロン的な場所にしていきたいと考えています。
最後になりますが、文学を読みたい方はぜひ来場して、お金を出す価値がある本を見つけて下さい。書きたい方は出店して、文学にチャレンジしましょう!
お話を伺っていくうちに「なるべく多くの人に参加してもらう」という運営方針を大切にしていることが分かった。それは、落選サークルをなるべく出さない努力にもつながる。第八回からは落選数を減らす狙いで、新しい会場に移転した。「会場が広いと閑散としないか不安で、そのリスクを天秤にかけてなかなか移転・拡大に踏み切れませんでしたが、何とかなりました。早く移っていればそれだけ、応募者を落とさずに済んだかもしれず、申し訳ない」と望月さんは語る。
創作の場を作って守ろうとする誠実さが、望月さんの言葉の端々から感じられた。興味を持たれた読者は、ぜひ参加して自身の手で、新しい文学を築いて頂きたい。
文学フリマ公式サイト
http://bunfree.net/
(Written by 天野年朗)