
牧場経営を夢見て北海道の酪農学園大学に入学した義剛青年は、在学中から音楽にのめりこみフレッシュサウンズコンテストで審査員特別賞をもらうなど注目を集める。その縁があってラジオのオーディションを受けた義剛は、札幌のSTVラジオでレギュラー番組を持つことに。しかしその内容はというと…。タイトルは「義剛の酪農根性」。番組ではその名の通り酪農のトークが求められしかも時間はたったの5分。しかし持ち前の明るさと青森訛りのトークが一部に評判となり、1983年、義剛25歳の時にSTVの深夜の看板番組「アタックヤング」のパーソナリティに昇格した。50分の深夜放送はコーナーがほとんどなく、義剛のフリートークとリスナーのハガキで構成されるシンプルなもの。この番組で義剛は北海道タレントとしての人気を不動のものとする。義剛が全国進出のきっかけとなったのもラジオである。
1987年、ビートたけしのフライデー襲撃事件によって空いてしまったオールナイトニッポン木曜日の繋ぎ番組「お笑い新人類大集合」。これに北海道代表として出演した義剛は、全国放送で義剛節を展開。その後土曜二部のオールナイトニッポンのレギュラーを勝ち取った。トーク中心のアタックヤングと異なり、オールナイトでは田舎カラーを全面的に出したコーナーや企画で展開。同郷の大先輩・吉幾三を茶化したりローカル記事を馬鹿にしたり、「田舎のおもろい兄ちゃん」としてファンを増やす。なかでも六本木の街中に牛を連れて放送した「旅は牛づれ大放送」は、(ネットのある時代と違い)ラジオだからできる暴挙として深夜ラジオファンの中で語り草となっている。その後の義剛の活躍はここに書くまでもないだろう。
義剛はラジオ番組で自身の夢を語ることが多かった。「いつかビッグになりたい」、「成功したい」。ハングリー精神の塊だった田舎者の喋りに、多くのリスナーが共感し応援したものだ。夢を叶えビッグになった今、もしマイクの前に立つとしたらどんなことを喋るのだろうか?
(Written by みぞてたかし)
1987年、ビートたけしのフライデー襲撃事件によって空いてしまったオールナイトニッポン木曜日の繋ぎ番組「お笑い新人類大集合」。これに北海道代表として出演した義剛は、全国放送で義剛節を展開。その後土曜二部のオールナイトニッポンのレギュラーを勝ち取った。トーク中心のアタックヤングと異なり、オールナイトでは田舎カラーを全面的に出したコーナーや企画で展開。同郷の大先輩・吉幾三を茶化したりローカル記事を馬鹿にしたり、「田舎のおもろい兄ちゃん」としてファンを増やす。なかでも六本木の街中に牛を連れて放送した「旅は牛づれ大放送」は、(ネットのある時代と違い)ラジオだからできる暴挙として深夜ラジオファンの中で語り草となっている。その後の義剛の活躍はここに書くまでもないだろう。
義剛はラジオ番組で自身の夢を語ることが多かった。「いつかビッグになりたい」、「成功したい」。ハングリー精神の塊だった田舎者の喋りに、多くのリスナーが共感し応援したものだ。夢を叶えビッグになった今、もしマイクの前に立つとしたらどんなことを喋るのだろうか?
(Written by みぞてたかし)