20090714_012009年3月。長年多くのファンから愛されていたラジオ番組が惜しまれつつも終了した。番組名は「コサキンDEワァオ!」、パーソナリティはコサキン。コサキンとは小堺一機と関根勤のコンビ名。小堺のコサと勤の音読みとなるキンを繋げて読むコンビ名は、深夜ラジオファンで知らないものはいなく、その反面テレビ露出が少なく小堺と関根の知名度ほど浸透していない。

コサキンがラジオデビューしたのは1981年の秋。当時TBSの夜ワイドを担当していたパーソナリティが、生放送のTVに出る時のみのピンチヒッターとして出演。後の長寿番組になるパーソナリティにしては地味なスタートだった。スタート当初はハガキの数が少なかったそうだが、番組のベースとなる「意味ねぇ」ギャグが浸透すると、一気にハガキが増え人気となりピンチヒッターからレギュラーへと昇格した。コサキンの笑いは「意味ねぇ」に終始する。例えばこんなネタ。

(問)よしこちゃんはシゲミです。じゅんこちゃんはジャングルです。
では、みなこちゃんは何がサフランなのでしょうか?
(答)北の海のサーフィン教室。

これを読んで何人の人が笑い、何万人の人がポカーンとしていることだろうか?コサキンのラジオは始めから終わりまで、「意味ねぇ」のオンパレードで番組が構成されていたのだ。番組ではさまざまな意味ねぇ企画やコーナーが誕生したが、私が一番印象的だったのは関根の歌う「アゲイン」。渡辺徹の大ヒット曲を渡辺徹&ラビー(ラビーは関根の愛称)がデュエットするこの曲は、渡辺徹に無許可で勝手に「アゲイン」の音源の上に関根が曲を被せたおふざけモノ。最初のうちこそ徹に合わせて控えめに歌っていた関根だが、そのうちどんどん声がでかくなりサビの部分では関根の「アゲインアゲアゲアゲイン……」の声しか聴こえなくなり、最後にはお得意の宇津井健の物真似まで飛び出す爆笑モノ…。爆笑と書いてしまったが、これもリスナーにとってはこの活字だけでも笑えるのだろうがコサキンを聴いたことない人にとってはポカーンなのだろう。

実際ラジオでこれだけ人気のあった二人も、コサキン名義でレギュラー出演したテレビ番組はいずれも不発。小堺がテレビでコサキン本の紹介をしても、テレビの小堺ファンは笑わずポカーン。ちなみに番組内での小堺の愛称はムックン。曲紹介をする際にフリートークから無理矢理言葉尻や駄洒落で曲紹介に持っていくことから、無理矢理のムでムックンというあだ名になった。もちろんこの番組だけのあだ名であり他で使われることはほとんどなかった。

これだけの人気番組で二人とも知名度が高いにもかかわらず、コサキンはラジオを聴いている人にしかわからないオーラを27年半もの間、周波数954MHZから発信し続けた。番組スタートの1981年といえば昭和56年。黒柳徹子の「窓際のトットチャン」がベストセラーになり、寺尾聰の「ルビーの指輪」が大ヒットしレコード大賞を受賞した年にひっそり始まった番組が、平成、そして21世紀まで続く人気長寿番組になるとは、誰が想像していただろうか?
2009年3月。四半世紀以上続いた伝説のラジオがひとつまた電波から消えた。

(Written by みぞてたかし)